パワー・ユーザーとレトロ・パペット チップミュージックにおける手法と動機の批評的研究

Power Users and Retro Puppets - A Critical Study of the Methods and Motivations in Chipmusic

Anders Carlsson ([email protected]) Master's thesis, VT 2010 Department of Media and Communication Studies Lund University

Supervisor: Peter Dahlgren Examiner: Fredrik Miegel

Japanese translation: Takashi Kawano

概要 Anders Carlsson:「パワー・ユーザーとレトロ・パペット――チップミュージックにおけ る手法と動機の批評的研究」(ルンド大学メディアコミュニケーション学科)

本稿はチップミュージック(chipmusic)――1980 年代に原初的なデジタル・サウンドを 特色としたコンピュータならびにゲーム・コンソールの利用法から発展した音楽スタイル ――を制作する人々にインタヴューしている。この十年、ルネッサンスを経験してきてい るチップミュージックは一般に、テクノロジーに対するノスタルジアまたは再横領の行為 だと理解されている。本稿の目的は、十人の現役のミュージシャンにインタヴューするこ とによって、人々がどのように、そしてなぜチップミュージックを制作するかに関して、 より深い理解を成し遂げることにある。チップミュージシャンたちがいかにしてデジタ ル・メディアの基本的特徴に適応し、離れるか、そして彼らがそれにどのような意味を帰 しているかを説明可能な諸概念を展開することを目標としている。従って、研究の主要な テーマは、個々人がどのように自分たちの音楽を語っているかだが、これは彼らが使用す るメディアと彼らが作業を行う文化に関する徹底的な検討と組み合わさっている。それ自 体が、コンピュータ科学と社会科学の間の領域横断的なアプローチである。 結果では、チップミュージシャンは制約の観点から自分たちのメディアを説明して いるということを呈示する。ハードウェア・プラットフォームではなく、ソフトウェア・ インターフェイスが自分たちの作業をどのように条件付けているかについて語る傾向が彼 らには存在する。土台となるプラットフォームではなく、大抵はソフトウェア・インター フェイス及び文化に関連して、個人的侵犯を求める共通した欲望が存在する。四つの広範 な言説が特定され、それらはアンチ・ノスタルジア、制御(control)、ハッカーの美学、 デジタル経済と称される。

キーワード:プラットフォーム・スタディーズ、8-bit、チップミュージック、サウンドチ ップ、ハッカー、デモシーン、ノスタルジア、美学、インターフェイス、侵犯、没頭、憑 在論

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目次 1

概要

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目次

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完全なるビープを求めて

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チップミュージック小史 普遍情報からチープ・ビープへ デモシーンと複製のサウンドトラック チップシーンとデジタル・オーセンティシティ

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チップミュージックの物質性 問題児としてのサウンドチップ プラットフォーム コントロール・ルームとしてのインターフェイス レセプション/オペレーション

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理論的枠組:ノスタルジア、憑在論、本質主義

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インターネット方法論 選定の手順 インターネット・インタヴューについて インタヴューの手順

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結果:チップミュージックの制作――そしてその意義 ミュージシャンの紹介

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メディアの美学 -本来的欠点 2

-ハードウェアか、それともソフトウェアか? -インターフェイスの即時性 -機械の美学?

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チップミュージックの実践 -障害と原動力としての制約 -表現エフェクトとパターンのプレッシャー -アイデアから音楽へ -没頭

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システムを超越する

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チップミュージックの言説 -アンチ・ノスタルジア -制御 -ハッカーの美学 -デジタル経済

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最終検討

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用語集

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参考文献一覧

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訳者付記

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完全なるビープを求めて 1984 年のスーパー・ボウルの第三クォーターで、大型スクリーンに George Orwell のディ ストピア小説『1984』を題材にしたコマーシャルが映し出された。「思想の単一化」につ いて語る《ビッグ・ブラザー》をとらえる大型スクリーンに、白人の人だかりは圧倒され る。突如として、一人の女性がハンマーで画面をぶち壊し、次のようなメッセージが場に 響いた。「1 月 24 日、Apple Computer は Macintosh を売り出します。1984 年が『1984』の ようにはならない訳が今に分かるでしょう(Stein 2002)」。ハッカー・カルチャーにル ーツを持つ Apple は、IBM と Microsoft の業務提携に対して反論の体制をとっていた。 2010 年まで時間を進めてみると、Apple は市場のなかで最多数の鍵がかかったツー ルのいくつかを製造している。ユーザーがハックしない限り、iPhone は、承認済みでアッ プルを通して販売されているソフトウェアだけしか起動できない。多くの製造者がコンピ ュータ、電話、ソフトウェアに関してよく似た戦略を用いている。購入したガジェットの 改良の仕方が分かってはいても、そうすることによっておそらく使用許諾契約を破るか、 特許か著作権を侵害することになる。デジタル世界では、「表現の自由はもはや妥当では ない。今や使用の自由がその地位を占めている」(Galloway and Thacker 2007)。 もしかすると、これが、チップミュージックがこの十年で世に広まってきている理 由なのかもしれない。この音楽は、今日ではほとんどの人々が軽くあしらう 8-bit の性能 と一体になって、1980 年代、コンピュータとゲーム・コンソールから発展した。チップ ミュージックには、「スーパーマリオブラザーズ」やノスタルジアを表すビービー、キー キーといった特徴的な音があった。チップミュージシャンの、これまで聞いたこともない 音楽を作るための様々な「時代遅れの」テクノロジーへの打ち込み方は、ただの昔ながら のノスタルジアだとは片付けられない。デジタル化された文化では、このようにしてテク ノロジーを再生利用するのは、本来的に政治的なことなのである。チップミュージシャン たちは、本来はヴィデオ・ゲームを遊ぶために使われていた Nintendo Gameboy(1989)を 取ってきては、音楽のライヴ・パフォーマンス用のツールになるようにプログラムし続け ている――任天堂による停止させる取り組みがあるにもかかわらず1。現代の政治活動家 が権力のシステムに新しい意味を吹き込むのにも似て、チップミュージシャンたちはメデ

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Nintendo は、Gameboy 用の自分専用のカートリッジを作るために必要とされるハードウェを販売している かなりの店を営業停止させてきた。

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ィアに新しいことをさせる。事実、Sex Pistols の昔のマネージャーMalcolm McLaren は、 チップミュージックを新たな「8 bit punk」と呼んだ(McLaren 2003)。 チップミュージックにテクノロジーの再横領というレッテルを貼ること、それ自体 は容易い。実際、それは少し安易に過ぎる。メディアの物理的制約を押し広げているよう に見えるチップミュージシャンが存在するとはいえ、チップミュージシャンの多くは、そ のメディアの概念的制約を押し広げていると表現するのが適切だ。私たちは、チップミュ ージック・メディアがどんなことをするとされているかに関する諸観念を持っており、そ してチップミュージシャンたちはそれらの観念に挑む。 本稿は、ユーザーに権限を与える(empower)ことも、ユーザーから権限を奪う (disempower)こともあるデジタル・メディアのあり方に関して、より深い理解を実現し ようとする試みである。その目的は、彼らがどのように、そしてなぜサウンドチップを使 っているかについて、チップミュージシャンにインタヴューを行うことである。目標は、 チップミュージシャンがデジタル・メディアの基本的特徴にいかに適応し、いかにそこか ら離れるか、そして彼らがそれにどんな意味を帰しているかを説明する諸概念を展開させ ることである。 メディアの利用法を考察するため、本稿は Olsen らの哲学(2009)、Bogost と Montfort のニューメディア・スタディーズ(2009)、Taylor の批判理論(Taylor 2009)の なかで示されているような、メディアの物質性に関する詳細な研究に支えられている。こ の点は、大部分の読者が理解しやすいように書かれた第二章で呈示される。 第一章ではこの物質性の歴史を記述する。それがチップミュージックを取り囲んで きた、移ろいやすい文化的条件のなかで発展したからである。しかし、この章の本旨は、 チップミュージックの美学と文化に背景を与えることにある。インタヴュー分析で用いら れる、ノスタルジア、憑在論、そして本質主義という、三つの理論的概念の定義を行う短 い章も存在する。 以上の章では可能な限り、チップミュージックに関する学術的な先行研究に準拠し ている。だが、チップミュージシャンとしての私自身の経験なくしてこれらの章は不可能 であっただろう。現役の実践者として、私は先行研究で見落とされてきた諸側面を重点的 に取り扱おうと試みてきたが、さらに、この機会を利用してチップミュージックに浸透し ているかに見える、いくつかの自然化された神話とイデオロギー的な前提を批判している。

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これには、実施されてきたインターネット・インタヴューに関する一般的な方法論的側面 と並んで、第四章で論じられている多数の検討事項を要する。 結果は三つのテーマのなかに呈示されている。メディア美学、チップミュージック の実践、そして「システムを超越する」と題された節。これに続き、題材のなかで示した ように、四つの言説の研究が続く。すなわち、アンチ・ノスタルジア、制御、ハッカーの 美学、デジタル経済。

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チップミュージック小史 ポピュラー

テクノロジーの直接的帰結としてのチップミュージックという、一般的な理解がある。乏 しい量のチップミュージック研究は、その音楽が文化的状況の変化の一環として形成され てきたことを示唆している(Collins 2008, Driscoll & Diaz 2008, Dittbrenner 2007)。この歴 史科学は、そのようなテーマをさらに詳しく説明していく。それはチップミュージックの 美学がテクノロジーと文化の間の相互作用のなかでどのようにして形成されてきたのかを 説明しようとする試みである。第一節はデジタル・ミュージックのサウンドチップ以前の 時代を扱い、1970 年代後期のサウンドチップ・メディアの出現に文化的文脈を与える。 これらのメディアはホビイスト・デモシーン・サブカルチャーで広範囲に使用された。チ ップミュージックという用語は 1990 年の少し前にそこで初めて用いられた。約十年経つ と、チップミュージックはデモシーンで発展した多くの基準を今まで通り利用すると同時 に、より大きな大衆文化的な文脈に散逸し、再定義され、多様化した。本章におけるキ ー・テーマは、音楽がいつもあまり優先されていなかったテクノ・カルチャーにおける、 メディアのポテンシャルを最大化したいという欲望である。

普遍情報からチープ・ビープへ 最初のコンピュータ・ミュージックは情報理論の学術分野と密接なつながりがあった。 1948 年、Claude E. Shannon は、情報を有限集合から選ばれたシンボルの任意の離散的なシ ーケンスとして定義する、情報に関する数学的理論を発表した(Shannon 1948)。それは ある意味では、普遍言語という、長く続くモダニストの夢に対する回答だった。音、イメ ージ、テキストは同種のデジタル情報に翻訳されることもあるだろうし、新しく開発され たコンピュータ・テクノロジーで使用されることもあるだろう。最古のデジタル・ミュー ジックはこうした精神のなかで発展した。1951 年、シドニーで Geoff Hill と彼の仲間たち が、最初のコンピュータ・ミュージックを演奏した(Doornbusch 2004)。彼が使用したコ ンピュータには音を生成するためのどんな専用のハードウェアもなかったが、ビープ音を 再生可能なラウドスピーカーが存在していた。コンピュータにスクリーンがなかった以上、 これは便利なフィードバックの方式だった。ラウドスピーカーは RAM やプリンタと同じ ようなデータ受信機だった。そのため、ノイジーな音を生じさせる数列を送信するのが容 7

易だった。発信音を生成するために、一定のスピードで 1 と 0(バイナリ形式のコンピュ ータ言語)が送信できることに Hill は気が付いた。それらを送信するのが速ければ速いほ ど、ラウドスピーカーが再生する発信音は高くなった。周波数が増加すると、古びた扉が どんな具合に「鋭い音(cracking)」から「キーキー音(squeaking)」になるか、よく考 えてみよう。このようにして彼は最初のデジタル・ミュージックを何とかして構成した。 数年後、Bell Laboratories において、Max Mathews がスピーチとコミュニケーションに関す る彼の調査の「副産物」として、音楽制作を開始した(Mathews, 1963)。Mathews は、 「楽音(musical sounds)の発信源としてのコンピュータのパフォーマンスに理論的制約は 存在しない」と主張した(Mathews 1963)。「Music From Mathematics」(1961)という 意味ありげな題を用いて、デジタル・ミュージックを用いた初めてのアルバムを共同プロ デュースするために、彼は情報理論を利用した。ポップ・ミュージックの表現だったが、 その音楽のほとんどは、エンジニアの美学とアヴァンギャルドの作曲術のどこか中間に位 置する音の実験だった。 電子ゲームの到来と共に、1970 年代、デジタル・サウンドは幅広いオーディエン スに及んだ。「Pong」(1972)のような最初のアーケード・ゲームには最小限度のサウン ド・エフェクトしかなかったけれども、ゲームを「強烈かつリアルな」ものにするのに、 音が必要不可欠であることをゲーム会社は知っていた(Collins 2008:8)。サウンドチップ は、コードとグラフィックに必要とされるもっと多くのコンピュータ・リソースを用いる ことなく、音の質を上昇させるために導入された。Atari VCS(1977)はサウンドチップ を備えた最初のゲーム・コンソールだったが、オーストラリア人が 1951 年に実現してい たものよりはるかに使いものにならなかった。特に、利用可能なノートのおかしな範囲の せいで、作曲者たちは死と絶望を暗示する耳障りな音階で音楽制作することを余儀なくさ れた(Collins 2006)。 1970 年代、コンピュータ・テクノロジーは個人的使用に耐えるほど安価になった。 こうしたホビイストの動きが、チップミュージックにとって社会文化的なルーツを含んで いると主張する人もいる(Dittbrenner 2007:87)。1970 年代のハッカー・ムーヴメントは、 チップミュージックの実験がいくつかそこで行われた、カウンター・カルチャーと商業の 特異な混合物だった(Markoff, 2005; Levy, 1994; Barbrook & Cameron, 1996 参照)。Apple のような営利目的のコンピュータ企業を結成する人たちがいる一方で、The League of Automatic Music Composers はネットワーク化されたコンピュータを使ってライヴ・パフォ 8

ーマンスを行い、また地球規模の民主的な通信ネットワークについて語った。Apple II (1977)は最初の大衆的なホーム・コンピュータだった。そして大変興味深いことにはサ ウンドチップが備わっておらず、1950 年代に George Hill が実現したのと同じような技術 に依存していた。数年後、最も大衆的なホーム・コンピュータとゲーム・コンソールは全 てサウンドチップを利用していた。Commodore 64、Nintendo Entertainment System、Atari や Spectrum のマシン全てが、いわゆる PSG サウンドチップを用いていた。Fairlight シン セサイザーのようなその他の同時代のデジタル・サウンドと比べると、極めて原初的な定 義済みの音をそれらは含んでいた。 Mathews の普遍主義の観念とは対照的に、サウンドチップによって、デジタルの家 庭用電化製品の音は、二、三の定義済みのビープに制限され続けていた。それは三つの点 で、経済的側面の問題だった。第一に、リアルなゲーム経験に対して、商業的な訴求力を 最大化するために音が必要とされていた。第二に、サウンドチップはコードとグラフィッ クのリソースの割り当てを行っていた。第三に、サウンドチップは製造するのが安価であ るように設計されていた。

デモシーンと複製のサウンドトラック 早くも 1979 年、フリーで Apple II 用ソフトウェアを配布するデジタル・ネットワークが アメリカ合衆国に存在した(Walleij 1999)。いわゆるクラッカーたちは(少しでも存在 していれば)コピー・プロテクトを取り除き、グラフィティ作家のように、そのゲームに 署名を加えることで自分たちの営為のタグ付けを行った。これらの署名はクラック・イン トロと呼ばれ、素っ気ないテキスト画面から、動くグラフィックと音楽へと成長した。ゲ ームによって残された限られた量のメモリにぴったり合うように、クラッカーたちはイン トロを小さくしなければならなかった。[その後]彼らは別個のプロダクションとしてイ ントロをリリースし始めた。1986 年にまで、それはデモ2として知られるようになった。 その目的はコンピュータの限界を押し広げることによって、より多くのピクセル、スプラ イト、音を生じさせながら――大抵の場合、商業プログラマよりも多く――自分たちの技 能を実演することにあった。美学的マキシマリズム(maximalism)、そこでは少ないより も、多ければ多いほどより良かった(more was better than less)(Botz 2008 参照)。

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Triad や 1001 Crew 等のグループは、自分たちのプロダクションをデモと呼んでいた。

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デモシーン・ミュージシャンは商業の担い手の範に倣った。最初のデモはゲームか ら抜き出された曲を主として利用していた。Madonna あるいは Michael Jackson のような ポップ・ミュージックの一片をサンプルすることもまた、日常的だった。ポップ・カルチ ャーへの包み隠さぬ参照により、こうした音楽の横領はデモにアリバイを与えたと、デモ シーンに関する論文において Botz は主張している(Botz 2008:49)。 自分自身の楽曲を制作し始めた時、デモシーナーはゲームに由来する要素をそれで もなお用いただろう。その音がどう作られているかを学習するため、彼らはゲームのコー ドを調査し、そしてそのコードを利用して自身の曲を制作した。当時のミュージック・ソ フトウェアの不足を考慮すると、これは至極当然のことだった。既存のソフトウェアはハ ードウェアを効率的に使用しておらず、そのため、ゲームあるいはデモに使用されること はあり得なかった。商業的なゲーム・ミュージシャンでさえ、専用のミュージック・ソフ トウェアを使わなかったが、プログラマが使用する同じツール[アセンブラや機械語モニ タを指す]を用いて、自分たちの音楽を制作した。このようにして、利用可能なリソース を検討しながら、最大制御を得ることができた(Driscoll and Diaz 2008))。 1986 年、ゲーム・ミュージシャンの Chris Hülsbeck は Commodore 64 用のミュージ ック・プログラム Soundmonitor をリリースした。技術効率をユーザー・インターフェイ スと結び付けたそのツールは、チップミュージシャンの間で幅広く用いられた。Hülsbeck のアイデアは 1987 年、Karsten Obarski によってさらに進展させられた。この年、彼は Amiga で動作する Soundtracker をリリースした。このプログラムがトラッカーという用語 を確立した。当時の商業ミュージック・ソフトウェアでも同様に普及していた伝統的な水 平線のノート・シート[楽譜]の代わりに、垂直的表現を採用している。それはユーザー に使い勝手の良いインターフェイスとチップミュージシャンが求めた制御の折衷案と見な されることがある(Ratliff 2007)。Soundtracker は商業的に失敗したが、今日に至るまで なお、チップミュージシャンにとって標準的なインターフェイスになった。デモシーナー はプログラムを研究し巧みに扱い、たとえば Rockmonitor や Protracker 等のように、 Soundtracker の自分自身のヴァージョン[基となったプログラムにバグ修正や機能追加を 行ったもの。訂正と改作の程度はそれぞれ異なる]をリリースした。ソフトウェアや音楽 の横領が他所で訴訟を起こし始めていた一方、おそらくはその小規模かつ非営利的な活動 のおかげで、デモシーンはその活動の継続が許された。デモシーン・ミュージシャンは公 的な法と経済の外側で作業することができた。そしてデモシーナーの仲間からは駄目だが、 10

[デモシーンの]「外部から」のコンテンツを横領するのは問題なしとする、自分たちの 規則を進展させた3。 Amiga コンピュータはサンプルをかなり高音質で再生することができた。それまで のサウンドチップのローファイなビープ音とは異なり、Amiga は「本物の」音楽のように 聞こえる音楽を制作することを可能にした。Amiga トラッカーは、そのお手頃感ゆえ、ア ンダーグラウンド・ダンス・ミュージックのプロデューサーの間で広まった。1991 年、 英国のグループ Urban Shakedown は、彼らの Amiga ソング「Some Justice」で、英国の音 楽チャートに届きさえした。けれども、デモシーナーにとっての問題は、サンプルされた サウンドが、膨大なメモリ量を要求することだった。Amiga のゲーム・ミュージシャンは 早くもより経済的なサウンド・プロダクションの実験を行った。「Hybris」(1988)はサ ンプルを使用する代わりに、音を合成するための数学的なアルゴリズムを用いた。それは リソースの使用を最小化しており、以前のコンピュータやゲーム機の音楽と同じような音 が鳴った。SidMON (1988)に続いて、シンセティックな Amiga ミュージックを制作す るためのプログラムがいくつか存在したが、相変わらずサンプルベースの Soundtracker と その派生作が最も普及したままだった(Kotlinski 2009)。1989 年、4-mat や Duz のような ミュージシャンが、Soundtracker のシンセティックな音をシミュレートし始めた。彼らは (100 バイトのような)わずかなサンプルだけを用いて、単独の波形(a single waveform)――「ビープ」――を作り出すためにそれをループさせた。これは、その音楽 がほんの少しのリソースしか使用していないが、それでも Soundtracker のインターフェイ スを利用可能なことを意味していた。フィルターのかかった音楽、あるいは Rob Hubbard や Martin Galway 等の C64 のゲーム・ミュージシャンをリミックスする音楽が広まった。 こうした文脈において、チップミュージックという用語は確立された。録音の導入 (Auslander 2008)と共に登場したに過ぎない「ライヴ・ミュージック」という用語のよ うに、チップミュージックという用語は、ただ代用物が現れた時、確立されたまでだ。 Amiga では、極めてわずかなリソースを使って、昔のサウンドチップを使った音楽のよう に聞こえる曲があり、それらはチップミュージックと呼ばれた。チップミュージックは文

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Amiga デモシーンでは、レコーディング・アーティストから音をサンプルし、デモシーンの文脈ではその 音に対する所有権を主張することが一般的だった。「俺のサンプルを盗むな!(Don't steal my samples!)」 は Amiga デモシーンで良く使われた言い回しである。

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ファンクション

化的な 働 き を持っており、それまでの音楽で展開されてきた一つの美学を用いた。そ れはチップミュージックが単にテクノロジーの帰結に過ぎない、ということではなかった。 1990 年代を通してずっと、この用語は Fasttracker II のような、Soundtracker ライク なプログラムで制作されたサンプルベースの音楽のために、主として Amiga 及び PC のデ モシーンで使用された。デモシーンの[自己充足的な]生産消費文化において、チップミ ュージックはフリーで配布されたが、より幅広いオーディエンスに届くことは当時めった になかった。

チップシーンとデジタル・オーセンティシティ ミレニアムの変わり目に、コンピュータ・ミュージック・ツールはかなり複雑なソフトウ ェアに成長していた。できる限り多くの人々を喜ばせる目的で、普遍主義の視点からソフ トウェアが考案された。熟練のコンポーザーBrian Eno はこう語った。「何というか、や はり官僚制度の新しい層が、私と私たちが作りたい音楽の間に割り込んできたのだ」 (Eno 1999)。このような見識を共有したミュージシャンは、もっと高いレヴェルの制御 ないしは深い知識を求めていた。チップミュージックをルーツに戻る方法だと考えた人も いた。その他のデジタル・ツールと比較した際の、限られた量の選択肢と使い勝手の良い ロ



フィーリング

インターフェイスの欠如には、「生の」 感 覚 があった。実権を握り、機械をその極限に まで高めることができた。それはデモシーナーが既に長い間やってきたことだった。他の 人たちにとっては、それはメディアの制御を断念し、組み込まれた特性を受け入れるとい うやり方だった。 チップシーンと呼ばれることがあるものは、2000 年前後にこうした運動から出て きたものである。この展開における大きな要因は、micromusic.net というウェブサイトだ った。「ハイテクな人のためのローテク・ミュージック(low-tech music for high-tech people)」をスローガンに、1999 年に設立された(Esposto et al 2001:38)。一部分はコミ ュニティ、一部分はレコード・レーベルで、ローテク・ミュージシャンのための重要な社 会的プラットフォームへと成長し、二年後には 3500 人のメンバーを擁した。それが 「Web 1.0」であったことを考えれば相当のものである4。誰でも音楽をアップロードする

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数字は Gino Esposto との私的なインタヴューに依る。

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ことができたが、ごく少数の作品がそのサイトの匿名の審査員によって選定され、その結 セ レ ク シ ョ ン

果、ある程度のスタイル上の一貫性を維持した。この選定=淘汰における一貫性を理解す るのは難しいが、デモシーンのチップミュージックと異なっているのは確実だった。それ はデモシーンにおいて大変重要だった技術的な専門知識とはあまり関係がなかった。 micromusic は、プログラミングよりはパンクにもっと近い、ローファイ・サウンドの遊び 心に満ちた一つの利用法だった。もしかするとこれが micromusic.net にデモシーナーがほ とんどいなかった理由かもしれない。最も有名な micromusic のアーティストたちは、オ ルタナティヴ・ダンス・ミュージック・シーン出身で、名高い実験的なレコード・レーベ ル Rephlex でレコードをリリースしていた5。 micromusic.net の重要な役割は、主に北西ヨーロッパで企画されたイヴェントだっ た。2003 年、ほとんどはヨーロッパで、ただしアメリカ合衆国での開催も含め、約 50 回 のパーティがあった6。同年、Sex Pistols の元マネージャーMalcolm McLaren は、メインス トリームのメディアに何度か姿を現し、チップミュージックをハイテク・カラオケ・カル チャーに対抗する新たな「8-bit punk」として語った(McLaren 2003)。スウェーデンでは、 Gameboy ミュージシャンの Puss がグラミー賞にノミネートされ7、国営ラジオでは週に一 回、チップミュージック番組すら存在していた8。チップミュージックは他の文化的現象 と対話を始めている最中だった。それはチップミュージックを取り囲んでいた考えと利用 法を多様化した。チップミュージックが数あるなかの一つの音楽ジャンルになると、テク ノロジー中心主義は妥当性を減じていった。人々に昔のヴィデオ・ゲーム・ミュージック 思い出させるピコピコしたポップ・ミュージックを作る Slagsmålsklubben のようなバンド は、アナログ・シンセサイザーを使用していたという事実にもかかわらず、時折チップミ ュージックまたはチップチューンというレッテルを貼られた9。チップミュージックはテ クノロジーから分離した一つの音楽ジャンルとして議論された。結果として、もっと実験 的で暗いタイプのサウンドチップベースの音楽は、必ずしもチップミュージックとレッテ ル貼りされることがなかった10。

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DMX Krew、Lektrogirl,、Cylob、Bodenständig 2000 は両方のフォーラムで活動していた。 www.micromusic.net で見つかるイヴェント・リストに依る。 7 http://www.musikhuset.se/galor/grammisgalan.2003.1.htm 8 Syntax Error は P3-show Frank[ラジオ番組]のなかの 30 分間の箱番組で、2001 年から 2003 年の間に放送 された。 9 これを Bitpop あるいは Micromusic と呼んでチップミュージックから区別する人もいる。 10 いくつかの例を挙げると、Patric Catani、Ed、DJ Scotch Egg、Chantal Goret。 6

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こうした概念の変質は、一部のチップミュージシャンによって身を脅かす異質構造 だと受け止められた。彼らにとって、チップミュージックはスタイルではなく、そのポテ ンシャルを最大化するために特定のテクノロジーを使用することに関するものである。 Dubmood が言うには、「〔サウンドチップは〕他のどんなインストゥルメントにも似た インストゥルメントであって、一つのジャンルではないのは間違いない」(Rydén 2006))。求心力のある要因はメディアの選択だった。それは、正統性のための防衛的言 オーセンティシティ

説と Bourdieu が名付けるものを形作る、本来=真正性を求める主張だった(1995:73)。 テクノロジーは「本物の」チップミュージックの際立った特徴であると考えられ、そして フェイク

その他の文化分野との対話は、「偽物」だとして棄却される。この意味で、チップミュー ジックをスタイル、美学、またはジャンルとして見る人々と、テクノロジーの帰結として 見る人々の間には対立がある。この対立は、(Carlsson 2008)でもっと大々的に説明されて いる。 次第にサウンドチップを用いて制作されたどんなものでもチップミュージックと、 少なくともその実践者によって定義されるようになった。それは限界を押し広げることが 重要だったデモシーンと類似した言説に埋め込まれていた。この技術決定論的な定義は、 Gameboy の普及と共に強まっていった。Nanoloop や LSDj のような新しいソフトウェアが、 Gameboy を携帯ミュージック・ツールへと変えてしまっていた。それはチップミュージッ クにとって、エンターテインメント商品の転覆としての、すなわちハイテク資本主義に対 ステイトメント

する 意 見 としての象徴になった。チップミュージシャンは、楽器として使用するため に、Gameboy の建前上の予めコード化された目的を覆しているとしばしば説明された。 micromusic.net は徐々に人気の勢いを落としていった。おそらくはどの音楽が発表 されるべきか選定していた審査員を理由として、あるいはテクノロジーの純粋性への無関 心を理由として。2005 年、8bitcollective.com というアメリカのサイトが「史上初の完全に オープンなチープチューン関連のメディア・リポジトリ」として現れた11。あるいは新た なチップミュージック・ニュース・サイト vorc.org のために、チップチューンという用語 はチップミュージックにとって支配的な用語になっていった。今日 8bitcollective は 17,000 の登録メンバーを擁しており、通常は毎日少なくとも 20 の新たなユーザー・アップロー

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当初は music.gameboymall.com として登場した。http://8bitcollective.com/faq Accessed 7 December 2009

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ド曲を提供している。彼らは自分たちのロゴタイプに Gameboy を用いて、8-bit とは何か、 「fakebit」とは何かを、定期的に議題として取り上げている。 Glashüttner(2010:30)はチップシーンにおける三つの特徴を述べている。1)技術 プロテクショニズム

的な技能を誇示すること、2)無知な部外者に対する保 護 主 義 、だがその上さらに、 3)関心のある人たちを喜んで受け入れること。この意味で、デモシーンとチップシーン は極めて類似している。あなたが振る舞いのコードを理解するなら、両者とも今でも入っ て行くのがとても簡単な、かなり独特なシーンである。ほとんどのデモシーン・チップミ ュージシャンとチップシーン・ミュージシャンは、同じようなツールを用いて、部外者に はほとんど違いが見えない音楽を作っている。たとえそうであっても、チップシーンとデ モシーンが相互作用を始めたのは、つい最近のことである。チップシーンのレーベルやフ ォーラムで活動しているデモシーナーは未だに少数者だし、デモシーンのプロダクション に姿を現すチップシーン・ミュージシャンはほとんどいない。 二つのサブカルチャーの異なった歴史を考慮すると、もしかするとそれも無理から ぬことなのかもしれない。チップシーンはデモシーンにとって異種構造だったように思わ れる。なぜならチップシーンは(少なくともあなたがデモシーナーに尋ねてみるなら)デ モシーンの範囲内で展開されてきた音楽形態の再定義と再文脈化を行ったからだ。今のと ころ、メインストリームのアーティストが定期的にチップ美学を彼らの音楽に採用する時、 チップシーンは同じような状況に自分を見出している。チップミュージシャンとデモシー ナーを特徴付ける「集団的な保護主義」の一つの例は、ヒップ・ホップ・プロデューサー の Timberland が Nelly Furtado の曲のためにチップミュージックをサンプルした際、続い て起こったほとんど運動にも似た非難である12。もう一つの例は、Malcolm McLaren がチ ップシーンに接近した際出会った、懐疑的な態度である(GwEm 2004)。 本章は「チップチューンのなかで首尾一貫している唯一のものはツールである」 (Yabsley 2007)という一般的な条件を問題化してきた。チップシーンのような低レヴェ ルのハッカー・カルチャー・ミュージックでさえ、現在の実践、美学、チップミュージッ クに対する理解を形成してきた、社会的・文化的実践の歴史を持っている。それは、他者 との対話と、名誉=卓越(distinction)を目標に据えた様々な努力の双方を含んだ、スタ イル化のプロセス(Bjurström 2005)とBjurströmが名付けているものである。チップミュ 12

Carlsson (2008)で以前触れた通り。詳細は右記 URL より得られる。 http://en.wikipedia.org/wiki/Timbaland_plagiarism_controversy. Accessed 3 April 2010

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ージックの際立った特徴の一つは、メディウムの選択だった。それはその他の形式の音楽 のなかで、同一性と正統性をその音楽に付与するのに役立った。 次章では、チップミュージック・メディアの物質性が文化的価値と人間の熟考を 具体化するプラットフォームとインターフェイスによって、どのように構成されているか を呈示するつもりである。彼らがなぜ、そしてどのようにチップミュージックを制作して いるかに関するミュージシャンとのインタヴューを理解するための、基礎としての役割を 果たすだろう。

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チップミュージックの物質性 前章では、多くの場合、最大化が遍在しているテクノロジーと文化との間の相互作用を、 チップミュージックの美学がどのように進展させているか説明した。新しい利用法が可能 になったことにより、またそのメディアが大衆文化的な文脈のなかで「レトロ」になった ことにより、チップミュージック・メディアの見方は変化した。Gameboy のようなゲー ム・コンソールが楽器に変えられたあり方は、存在=政治論(ontopolitics)と呼ばれるも のの一つの例である(Law 2007)。たとえばコンピュータの存在論のような、一つのプロ セスまたは一つの事物に対する定義は、文化的・政治的価値と独立して存在する何かでは ない。チップミュージックへの心酔は、そのメディアは音楽制作のために用いられること を目的とされていないという考えにしばしば由来している。とはいえ、現代のチップミュ ージックは 1980 年代にそのルーツを持っている。そして当時既にそれらは音楽制作のた めに用いられていたのである。 チップミュージック・メディアの物質性は、物理的プラットフォームとソフトウェ ア・インターフェイスの両方によって構成されているが、その上さらに文化的条件によっ て構成されている。彼らにとってそのプラットフォームは、ある程度の不確実性を有して インセンティヴ

いる安価な製品をもたらす、経済的 誘 因 によって条件付けられていた。インターフェ イスは、ゲーム及びデモの文脈で利用可能になった限られたリソースのみを使用して、プ ラットフォームを制御するよう設計されていた。ソフトウェアはハードウェアのなかで内 在的だと大抵は考えられている、いくつかの美学的要素を標準化した。 この複雑性を理解するために、「技術仕様と文化の間の関連性」の研究を行う、プ ラットフォーム・スタディーズと名付ける学問分野のため、Montfort & Bogost によって展 開されたモデルを用いよう(2009:146)。プラットフォーム・スタディーズはデジタル・ メディアの五つのレヴェルを取り扱う。そしてそれぞれのレヴェルは文化的条件と関連し ている。プラットフォームは、プログラムされることのあるメディアの最も基本的なレヴ ェルである。これは通常ハードウェアであるが、同様に、もっとプラットフォームに依存 している Java あるいは Flash のようなソフトウェアでもあり得る。コードはプラットフォ ームを制御する命令であり、プログラマは特定の利用法を可能に、また不可能にする一定 の形式/ファンクション(form/function)を有するプログラムを書く。インターフェイス はプラットフォームのフロントエンドである。そこからレセプション/オペレーションが 17

生じる。各レヴェルは文化的文脈の一端として研究されるべきだと、Montfort & Bogost は 強調する。 チップミュージックの場合、一般的にプラットフォームは、サウンドチップやプロ セッサ等の物理的なオブジェクトから構成されている、たとえば Commodore 64 のような オールド・コンピュータである。とはいいながらも、これらのオブジェクトは、ハードウ ェアが実行することを制御するソフトウェアを含んでいる。デジタル・メディア全体に、 ソフトウェアは遍在している。そして一方で、ソフトウェアは実行することができるため のハードウェアを必要とする。適切なハードウェアがなければ、ソフトウェアは使い物に ならない。すなわち Kittler が言うように、「ソフトウェアなど存在しない」(Kittler 1995)。 これはまた、チップミュージックのための正当なツールとして考えられるのはどの メディアかという疑問に関連している。Playstation や特定の携帯電話のような機械はサウ ンドチップを有してはいるが、チップミュージック・メディアとして論じられることは稀 である。一方で Gameboy あるいは NES 等のコンソールは、物理的に分離されたサウンド チップを含んでいないが、チップミュージシャンに幅広く用いられていており、最も人気 のあるチップミュージック・メディアの二つとして一般に考えられている。さらに事を複 雑にするのは、私たちが 1990 年代に知った時、チップミュージックはサウンドチップに 全く依存していなかったという点である(p. 11 を見よ)。だがハードウェアとソフトウ ェアというよりむしろプラットフォームとインターフェイスについて話す最も重要な理由 とは、多くのチップミュージシャンがエミュレータ・ソフトウェアを使って作業している ということである。PC、Mac、iPhone その他で動くエミュレータは、可能な限り精巧にオ ールド・メディアを模倣し、いわばプラットフォームのなかのプラットフォームとして用 いられる。 本稿は、プラットフォーム、インターフェイス、レセプション/オペレーションの レヴェルと、それらが現れる文化的条件に重点を置く。私はサウンドチップとは何かを解 説することによって始めるつもりである。なぜならその諸機能は、メディアがチップミュ ージックの制作に用いられるかどうかに関わりなく、サウンドチップの美学を支持してい るからだ。

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問題児としてのサウンドチップ チップミュージックはハードウェア如何に関わらず、またそのハードウェアに依らず制作 されているというのが、一般に取り決められていることである。ポテンシャルよりもむし ろその制約に重点を置いている。Dittbrenne(2007)はチップミュージック・プラットフ ォームと共にある四つの典型的な制約を挙げている。すなわち、ポリフォニー(同時再生 可能な音の量)、音色(その音の特徴)、メモリ(RAM 及びフロッピー・ディスクまた はカートリッジ上のストレージ)、そして外的要因(プロセッサのスピードやフレームレ ート)。サウンドチップは、同時に 2~5 の音と、等しく限られた量の音色を再生可能な チープ

安価なシンセサイザーだと考えらえることがある。サウンドチップの最も一般的な音色は 矩形波である。これはオンとオフという、コンピュータの二進法的本質の結果である。そ の他の波形もまた、図 1 で見られるように、加算と減算等、基本的なデジタル・ロジック に準拠している。矩形波は大ざっぱに言ってクラリネットのような音がし、のこぎり波は トランペットに似ており、三角波はフルートによく似た音色を持っている。ノイズ波は TV ノイズと似た音をもたらす乱数発生器によって作られる。すなわち、チップミュージ シャンにとっての爆発音とパーカッションである。より多くのメモリそして/あるいはプ ロセッサ・パワーを使って、その他の波形を生じされることも可能ではあるけれども、こ れらの波形はチップミュージックの美学にとって極めて重要である。

図 1. サウンドチップの一般的な波形:[左から]矩形波、のこぎり波、三角波、ノイズ

サウンドチップの廉価製品はミュージシャンの多くに問題を引き起こした。Atari 2600 は、 ところどころが取り外れた鍵盤が原因でデチューンがかかっている二台のピアノにも匹敵 する、奇妙な音のスペクトラムを有していて、その結果、大抵とても薄気味の悪い音楽に なった(Collins 2006)。同一であるとされているサウンドチップの間に音色の差異が存在 することもある。Tomczak は彼の Gameboy に関する調査においてこの点を示した (2007)。それによれば同じモデルの個々のユニットでさえ、音の変化が認められるとい う。Commodore 64 はこの側面において悪評高い。ハードウェアの「バグ」のせいで、全 ての C64 で上手く聞こえる音楽制作をするのが難しかったのである。その上さらに、サウ 19

ンドチップはそれ自体が予測不能なものであることもある。インストゥルメントを若干違 った風にトリガーしたり、明確な理由もなくクリック音やノイズを付け足したりする。こ れらのようなアーティファクト[非可逆圧縮の過程で起こる損失効果を意味することもあ るが、この場合はより具体的に、ハードウェアの内在的特徴に起因するアウトプット上の (不可避的な)エラー、あるいはエラーのように知覚される現象を指す]こそが、従来ソ フトウェアに抑圧され続けてきた特徴的な音をもたらすのである。 またサウンドチップにはミュージシャンが作曲することを手助けする機能が備わっ ていた。それゆえ音楽に関する特定の観念を再生産した。最も分かりやすい例は、コンポ ーザーYukio Kaneoka[兼岡行男]の手でサウンドチップが設計された[一般には当時任 天堂開発第二部部長だった上村雅之を先導者として、他には田中宏和の名が挙がることが 多い]Nintendo Entertainment System(NES)である。そのサウンドチップの各チャンネル には固有の特徴があった。これはミュージシャンが特定のインストゥルメント編成を用い ることを促した。リード、伴奏を行うインストゥルメント、ベース、それからパーカッシ ョン/サウンド・エフェクト13。Collins(2008:25)によれば、NES コンポーザーがこの構 想から外れることはめったになかった。 音色を別として、サウンドチップをお互いから区別しているものは、表現要素をも たらすエフェクトであることが多い。振幅エンヴェロープは音のヴォリュームにダイナミ ックを生み出すために用いられる。サウンドチップは一般向けのシンセサイザーの標準的 な ADSR(アタック、ディケイ、サステイン、リリース)の(制限された)ヴァリアント を用いる。たとえば、インストゥルメントは高いアタックまたは低いアタックを持つこと ができる――ヴァイオリンの弦を爪弾くか弦を弓でそっと引くかの間の違いのようなもの だ。もう一つの一般的な表現機能は、パルス幅変調(Pulse Width Modulation = PWM)で ある。それは矩形波の音色を、鼻にかかったような音ともっとベースに近い音の間で変化 させる。サウンドチップのほとんどは、他にもメディア・スペシフィックな表現機能を備 えている。例を挙げると、Commodore 64 には二つの音をミックスして三つ目の音を作り 出す機能や、音の特定の周波数を減少させるフィルターがある。 13

一番目のチャンネルは、二つのノートの間でスライドが可能な、スウィープ機能を有していた。たとえ ばギター・ソロにおいて、ヴィブラートあるいはグライドを用いた表現力の高いリード音に役立った。二番 目のチャンネルにスウィープ機能はなかったが、そのためピアノのようにハーモニーを後ろで奏でる[伴奏 する]ことともっと近かった。三番目のチャンネルは他のチャンネルよりも 1 オクターヴ低く、いかなるヴ ォリューム制御も持たなかった。従って大抵はベース音に用いられた。残りの二つのチャンネルは、小さな サンプルとノイズ音を使っていたので、ほぼ必ずパーカッションまたはサウンド・エフェクトに使用された。

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プラットフォーム チップミュージックのプラットフォームはサウンドチップである、ただし技術的文脈にお いて。チップミュージシャンたちはどんな方法であれ彼らの満足のいくやり方でサウンド チップを使用することができないが、その上さらに、たとえばメモリの量やプロセッサの スピードによっても条件付けられている。オンラインのチップミュージック・アーカイヴ 14

を閲覧すると、こうした点を促進するサウンドチップが存在しないにも関わらず、曲の

大多数が三つのテンポの内一つであることに気付くだろう。コンピュータとコンソールの 大部分がテレヴィジョンで動作するよう設計されていたため、これら機械の「内部リズ ム」はテレヴィジョン信号(ヨーロッパでは秒間 50 フレーム)に同期していた。音楽の テンポは、要するにチップミュージシャンが bpm を 98、125、あるいは 152 のなかから選 ぶということを意味する、一つの帰結だった。三つはおおよそヒップ・ホップ、ポップ、 テクノのテンポに対応している。その他のテンポが実現可能であるにも関わらず、現代の チップミュージック・プログラムの多くは同一の限界範囲内で動作する。 ミュージシャンがサウンドチップにいかに素早くアクセスするかを決定しているの は、プロセッサ(CPU)のスピードである。高速な CPU では、より高精度にピッチ、ヴ ォリューム、音色を変更することによって、よりきめ細かなサウンドの制作が可能である。 一部のチップミュージックは CPU に無理やり高速にサウンドチップにアクセスさせてい るが、デモやゲームのなかで、ごくたまにである15。他にも[内臓]ストレージ(ROM) とメモリ(RAM)の量がチップミュージックの美学を条件付けていた。一般的に、チッ プミュージックのインストゥルメントとシーケンスは、約 4 キロバイトを使用する。これ は本稿の 2 ページに相当する。ファイルサイズを範囲内に収める典型的な戦略は、曲の部 分部分を何度も繰り返すことである。結果として、たとえばそう、もっとダイナミックな クラシック音楽作品というよりも、ループをベースにしたポップ・ミュージックになる (Collins 2008b)。

14 15

いくつかの例として、High Voltage SID Collection、ASMA、SMS Power、Project AY。 初期の例として 1986 年に発表された、Michael Winterberg や Martin Galway の C64 ミュージックがある。

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テンポ、音質、ストレージにおける制約は、技術的であると同じ程度に文化的であ る。チップミュージックがデモやゲームで用いるデジタル・リソースの量は、グラフィッ クやコードよりもかなり少ない(Collins 2008a)。

コントロール・ルームとしてのインターフェイス チップミュージック・ソフトウェアの設計に伴う重要な課題は、最大制御を与えること、 ただし最低限のリソースしか使わないことである。ゲームやデモでは、音楽はコードとグ ラフィックのためのリソースを残さなければならなかった。前述した Soundmonitor 及び Soundtracker は、トラッカーと呼ばれる新たなミュージック・インターフェイスの先駆者 となった。トラッカーはコンピュータ・ミュージック産業で優位を誇っているいわゆるピ アノロール・シーケンサーとは根本的に異なった動作をする。トラッカーは少しずつ、手 動で音楽を制作するために設計されていて、インストゥルメントの最小の部分要素から開 始する。ノートとサウンド・パラメータの両方を「ノート・シート」のなかで容易に利用 可能にすることによって、ユーザーをプラットフォームに近付けている。ピアノロール・ シーケンサーが通常サブメニューや外部デバイスのなかにこのような機能を隠していると すると、トラッカーの方はきめ細かな音楽プログラミングという形態を促している16。ト ラッカーは限られたリソース量を最大化[後から、外部から何かを追加することによる量 的な増加でないことに注意]するよう設計された、ノート・シートに対するより手の込ん だ形態だと考えられる。 トラッカーの二つの理念型、使い勝手の良いサウンドトラッカーと高度に効率的な ハイパー・シーケンサーについて、手短に説明を行おう17。サウンドトラッカーは、ミュ ージシャンが「ノート・シート」において手動で調整する小さなビープ・サウンド、すな わちパターンを用いる。ピッチやヴォリュームと共に、どの表現エフェクトもみな、ノー トに隣接して設定される。図 2 は、コンポーザーがノートの隣にCコマンドとAコマンド をどうやって使用しているか示している。Cでヴォリュームを設定し、一方Aではヴォリ ュームの段階的なフェイド・アウトの設定を行う。

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Phelps(2007)はトラッカー・インターフェイスを現代的文脈にもたらすことを狙いとした学士論文のプ ロジェクトにおいて詳述している。 17 ほとんどのトラッカーがこの二つのタイプの要素によって構成されている故に、それらは理念型である。

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ハイパー・シーケンサーはもっと抽象的な作曲手段であり、プラットフォームのよ り効率的な利用をもたらす。この用語は、それがプログラミングに似ていると説明した Phelps(2007)によって使用された。それ以来、コンポーザーは楽曲の他の要素を参照す アレンジメント

るために「リンク」を定義する。曲とは配置編成のことであり、配置編成とはパターンと ブロック

ナンバー

称されるノートの 束 を参照する、 数 のリストのことである。これらのパターンはイン ストゥルメントへの参照を含んでいる。それらはサウンドチップに対する命令の束である。 サウンドトラッカーとハイパー・シーケンサーの間の根本的な違いは、後者が各ヴ ォイスをその他のヴォイスと独立して配列する(sequence)ために用いられる点にある。 もう一つのヴォイスが数多くの様々なパターンと共にメロディを演奏する傍らで、ヴォイ スはベースラインのループを繰り返せるのである。サウンドトラッカーでは、メロディは ベースラインと数珠つなぎになっている。ベースラインがコピーされる必要があるので、 メロディの変化により多くのメモリを要することを、このことは意味している。図 3 の左 上のI05 は、インストゥルメント番号 5 を指している。音色、ヴォリューム、フィルター、 様々なエフェクトを設定するため、このインストゥルメントはサウンドチップ内の特定の 場所を指示する数から成り立っている。

図 3. JCH Editor(Commodore 64)

ee図 2. Protracker 3.15(Amiga)

トラッカーは調性、リズム、インストゥルメント編成に関する西洋の先入観を修正する。 プラットフォームが許せば、トラッカーは十二平均律の音階を用いる。トラッカーは 16 あるいは 64 ステップという標準的なパターンと共に 4/4 拍子を促す――これはジャズよ りポップなリズムになるのが明々白々なことを意味している。トラッカーは、もっと気ま まに音の要素を並べるどころか、インストゥルメントの定義を行うコンポーザーを必要と 23

する。しかも、トラッカーはゲームやデモ用の音楽を制作するよう設計された。通常、音 楽は[ゲームやデモの]コードやグラフィックよりも少ないリソースを割り当てられてい たため(Collins 2008a)、プラットフォームのポテンシャルを十分に最大化するようトラ ッカーが使用されることはあり得なかった。つまり、インターフェイスの制約を方向付け る文化的条件もまた存在していたということである。

レセプション/オペレーション 本稿の主要なテーマは、レセプション/オペレーションのレヴェルである。そのため、こ の節ではいくつかの典型的なオペレーションの手段にのみ言及する。チップミュージシャ ンが自分たちのメディアの限界を押し広げようと試みてきたやり方は、美学的マキシマリ ズムという形態を成すことを促した。少なくとも技術上の優れた能力に感心してみたかっ た人たちの言うところでは、多ければ多いほど良い、ということになったし、この観念は 多数の技術の確立に役立った。たとえば、チップミュージシャンは音楽にもっと豊かなハ ーモニーをもたらすため、いわゆるアルペジオを用いることが多かった。いくつかのノー トの間で素早く変化するアルペジオは、あたかもそれらのノートが同時に再生されている かのように聞こえさせる。この代替策は、一つのコードを鳴らすために三つのチャンネル を使用することだったが、そうするとベース、ドラム、メロディといったものを入れる余 地がなかった。アルペジオ・エフェクトは既に 1960 年代、コンピュータとシンセサイザ ーを使って可能だったが、チップミュージックにおいてそうなったのと同じように普及す ることは決してなかった。装飾音とは、メロディそのものにとってあまり重要ではない、 メロディ上の装飾のことである。用意されているメロディの周囲にわずかな即興を加える 熟練のギタリストよろしく、それは細部をもたらす。チップミュージックの装飾音は、低 いヴォリュームや若干変更を加えたピッチ、異なる音色で付加的なノートを加えることに よって作られる。 「マキシマリズムの文化」では、アルペジオと装飾音の広範な利用が質の徴に、す なわちこう言って良ければ、大衆好みのものになることがある。もしかするとこのことは、 反対のアプローチ――細部のほとんどない、ミニマリスティックで瞑想的なアンビエン ト・ミュージック――が依然として稀少である理由を説明するかもしれない。そしておそ らく、フュージョン・ジャズ、ブレイクコア、グリッチ/ノイズ、あるいは生成音楽等の 24

「制御の範囲外」にあるチップミュージックが、わずかしかない理由も同様に説明するこ とができるだろう。とはいうものの、過去十年でこの種の音楽は、特にチップシーンでま すます一般的になってきている18。これはおそらく、チップミュージックの再文脈化が、 手法と動機におけるさらなる多様性を導いたためである。これこそが次章の題目である。

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いくつかの例として、Nq、Lukas Nystrand,、Neurobit、Overthruster。

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理論的枠組:ノスタルジア、憑在論、本質主義 本章はインタヴューの呈示で用いられることになる三つの概念の定義を行う。これらの概 念はチップミュージックを制作するための多くの理由になることがある。第二章では、 1990 年代、チップミュージックがいかに技術的必然かつ美学的嗜好であったか、そして その後いかに再文脈化が施され、新たな意味が付与されたかを呈示した。ローファイ・テ クノロジーを横領し、フリーで楽曲とソフトウェアを配布するというチップミューックの 方法は、新ミレニアムに新たな(政治的)妥当性を与えられた。それは、do-it-yourself、 リミックス・カルチャー、オープン・ソース、ハッキング、批判的メディア・アクティヴ ィズムの観念と共振したが、その上さらにノスタルジア、遊び心の観念とも共振した。チ ップミュージックはそれ自体に保守的な面と急進的な面の両方が存在する。チップミュー ジックに関する私の個人的経験だけでなく、チップミュージシャンのバイオグラフィーに 関する先行研究と私的研究、ジャーナリスティックなテキストと文書から、ノスタルジア、 憑在論、本質主義という、チップミュージシャンの動機と手法の三つの理念型を私は構築 している。その目的は、インタヴューのなかの様々な傾向を説明するために利用される概 念を定義することである。個々のミュージシャンは、程度の異なるそれぞれの理念型を持 っていると仮定される。それら自体は、記述的分類といよりむしろ分析的概念である。 ノスタルジアの観点からチップミュージックを説明することはほとんど直観で理解 できるように思われる。この用語は、幼年期の記憶のロマンティシズムと、いくらか理想 化された過去への憧れを含み持っている(Boym, 2002:7)。ノスタルジアはデジタル・テ クノロジーと共に十代の不安から逃れることに関する記憶だったり、あるいは友達と一緒 にヴィデオ・ゲームを遊ぶ楽しい時を思い出す記憶だったりする。おそらくチップミュー ジックの特徴的な音は、一般にポジティヴな幼少期の記憶と関連付けられている。チップ ミュージック・ノスタルジアは、「スーパーマリオブラザーズ」等のヴィデオ・ゲームの 音楽やキャラクターを用いたり参照したりして、過去に戻ることに関するものであること もある。 関連するアプローチは、レトロ・ファッションにもっと似たやり方で、過去の記憶 やテクノロジーを変化させることである。レトロは現在に対する能動的な反応である。道 すがらどこかで失くしてしまった特質を探るための様式的選択――「感傷的でないノスタ ルジア」(Guffey 2006)。だがチップミュージシャンの間には、古いもので何か新しいも 26

のを制作することに関わっている、進歩的な気質も存在する19。ローテク・ツールと過去 の朧げな記憶が、未来に関する新しい観念と一緒に混ぜ合わされる。「未来のためのノス タルジア」(Lanza, 2007:190)。それはレトロフューチャリズムやサイバーパンクの観念 と似ていて、過去の錆びついた機械や音の失われたポテンシャルを再発見する。音楽では、 この現象を説明するために憑在論(hauntology)という用語が度々用いられる(Dunning and Woodrow 2009)。Derrida は、私たちが全員、過去の抑圧された意味だけでなく、未 来に関する観念を伴った亡霊にいかに憑かれているかを説明するため、この用語を作った (1994:10)。憑在論はたとえば、不鮮明な画像やローファイな音の示唆的で「不十分 な」特質に関係している。それは鮮明で即座に理解可能なテキストとは対極にある。 [Lars]von Trier の「Dogma 95」のマニフェストは、粗っぽいドキュメンタリー技法を用 いて、「より多くの現実性」の感覚を生み出すやり方だった。憑在論の基本的な考えは、 より少ない細部と包括性[理解可能性]がより多く想像力を広げるということである。も しチップチューンがチップミュージックの目利きでもあるロック・ミュージシャンやレイ ヴァーに向けて演奏されたなら、レイヴァーであれば未来のシンセサイザーとダンス・ビ ートを聞くところに、ロッカーならそこに 1970 年代の金切り声とギターを聞くかもしれ ない。ビープは多義的で、チップミュージックのより洗練された理解、「ビープ・リテラ シー」を進展させ続ける人々に、様々な解釈を与える。 本質主義という三つ目のアプローチは、機械の亡霊ではなく、機械それ自体の物質 性に焦点を合わせる。本質主義は、その現在の意味と利用法を問わず、ミュージック・ツ ールとしてのチップミュージックに気の趣くまま関係する、ポストヒューマンな理念型で ある。あらゆるツールにはそれ自体の制約の集合があり、チップミュージック・メディア は必ずしも他のメディアよりももっと制限されていたり、窮屈だったりするわけではない。 アーティスト/研究者の Norman White が述べたように、「最先端の考えが最先端のテク ノロジーを必要とすると信じるのは、基本的な過ちである」(Debatty 2006)。それは本 質主義という一つの形態となり得る。そこでチップミュージシャンは、テクノロジーの 「真の本質」、つまりその内在的な美学に挑もうとする。John Cage が 1950 年代にターン テーブルとラジオを使用して以来、このアプローチはアヴァンギャルド・ミュージックの 19

最も大規模なチップミュージック・フェスティヴァルである Blip Festival はこのように宣言している。 「(…)等のデバイスは、独創的な低い分解能=解像度、大きなインパクトの電子音楽及び映像のサービス へと、再度目的化される――ゲーム・カルチャーを避け、その代わりにテクノロジーの未開発のポテンシャ ルと、際立った内在的特徴を開拓する」。http://blipfestival.org/2008/

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なかで豊かな歴史を持っているが、デジタル領域における近年の傾向なのである。たとえ ば、ポスト・デジタル・ミュージック(Cascone 2000)はソフトウェア・ツールにおける 失敗の探査である。同様にグリッチ・アートは、デジタル・エラーの美学と機械のアーテ ィファクトを探求する(Menkman 2010)。チップミュージックはアートの世界で、こう した用語でしばしば概念化されるが 20、それはテクノロジーがどのようなものとされてい るかに関する、人間の定義を前提としている。言うなれば、それは存在=政治論である。 一方でポストヒューマンの哲学は、多くの場合 Marshall McLuhan のメディウムはメッセー ジであるという考えに言及しつつ、対象それ自体を研究することの重要性を強調する。Ed Halter はチップミュージックをデジタル唯物論の一形態として論じており、特定の映画製 作者たちがフィルムとシネマの物質性をどのように探求してきたかということとそれを比 較している(Quaranta, 2010:70)。チップミュージック・プラットフォームは小量の選択 肢と共に、ユニークな特質を持っている。なぜかと言えば、Kittler が秘密性のシステムと 呼ぶものをそれは欠いているからである(Gane 2005:36)。こうした制御の多重的な層は、 プラットフォーム・レヴェルをレセプションならびにオペレーションから隠し、そしてそ れはチップミュージック・メディアにおいて存在しないものとされる。それは、新しいこ とを実現することによってテクノロジーの「ボスになる」ことを欲しているミュージシャ ンにとっても同様に、チップミュージック・メディアが魅力的であることを意味している。 インタヴューのなかでこの点は、メディウムに対する侵犯として触れられるだろう。

20

たとえば Playlist (2010)、Once Upon a Time (2009)や、JODI、 Jeremiah Johnson、Paul Slocum 等のア ーティストの展示において。

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インターネット方法論 あなた[自分自身]が参与するサブカルチャーを調査するのは、骨の折れる学術的挑戦で ある。こうした研究者と実践者の二重の立場は、本稿のあらゆる段階に浸透した――目的、 理論、歴史から、分析と最終検討に至るまで。私のチップミュージックの経歴は 1993 年、 デモシーンで始まった。当時は Amiga でトラッカーを用いて作業していた。その後 Commodore 64、Gameboy、PC を使用し始めた。チップシーンが現れると、テクノロジー の最大化を重要視する、かなりのテクノロジー純粋主義者の一人として、レコードのリリ ースとライヴ・パフォーマンスを始めた。長い年月をかけて、私は Goto80 としておおよ そ 1000 曲発表し、約 200 回のパフォーマンスを行ってきた21。私は『From Pac Man to Pop Music』にチップミュージックに関する一章を寄稿した(Collins 2008c)。そのことは 私により学術的な視点から、自分自身のテクノロジー純粋主義を批判するよう促した。ま たそれは Chipflip というブログを開始するよう私を動かした。ブログの読者からのフィー ドバックは、本稿と共にその作業に影響を与え続けている22。 とりわけ比較を行うためのチップミュージックに関する学術的研究の不足もあって、 この経歴が本稿にどのように影響を及ぼしているかを述べるのは難しい。しかしながら、 私が自分自身の経験と密接しているチップミュージックの側面を研究してきているという、 有効な批判があるだろう。日本あるいはロシアのミュージシャン、また 24 歳未満の情報 提供者はいない。さらに本稿はよく知られているインターフェイスやプラットフォームを 多数除外している23。デモシーンとチップシーンへの重要視は、Battle of the Bits やトラッ カー・ミュージシャンのためのその他のインターネット・サイトだけでなく、商業やイン ディーで活動するゲーム・ミュージシャンに対する配慮を欠いている。 だが、チップミュージック全体の代理表象的な見方を与えることが目的ではない。 一人の研究者として、目的は面白く理路整然としたテキストを執筆することにあり、(そ んなことがそもそも可能であるとして)サブカルチャー運動全体を描き出してみせること にあるのではない。私の経歴は、まだ言われたことのないチップミュージックに関する何 かを書くよう、私を促したと信じている。上手くいけば、それはまた、技術科学と社会科

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http://goto80.com http://chipflip.org 23 概して Nanoloop、 MCK/MML、アセンブリ言語、MIDI シーケンサー等のインターフェイスはおそらく過 小評価されている。ZX Spectrum や MSX のようなプラットフォームはもっと偶然に生じたのかもしれない。 22

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学の間の灰色の領域に何らかの貢献をする。言うなれば、私はサブカルチャーのなかの確 クラフト

固とした基盤を用いて、工芸としてのチップミュージックに関する批評的研究を行いたか ったのである。実践者‐研究者という立場は、このような目的に上手く向いていると思う。 以前テキストを発表してから、私はチップミュージックに関するブログを発表して いる。この点が情報提供者の回答に影響を及ぼすことがあるだろうかと考慮するのは、極 めて重要だった。一例を挙げると、テクノロジーを中心とする視点に関する批判的テキス トが誘因となって、一部の情提供者がインタヴューにおけるその視点を弱めてしまったの はいかにも道理に適っている。私は情報提供者に、私の質問に対する彼ら自身の見解を伝 えるよう促し、できる限り公平な質問を構成するよう努めた。例を挙げると、私は「制約 (limitations)」ではなく「機能(features)」という用語を用いて、最初はプラットフォ ームあるいはインターフェイスに関する質問を明確に述べるよりも、「メディア」に関す る質問を尋ねた。

選定の手順 本稿でインタヴューを受けたのは十人のチップミュージシャンである。彼らのことは次章 でもっと詳しく紹介されるだろう。この領域に関する適度な概観を備えた長年の実践者と して、誰がインタヴューするのにふさわしいか、大まかな考えがあった。チップミュージ シャンの選定は、チップミュージックの一般的表現を与えるためになされたのではなかっ た。従ってサンプリングは広さよりも深さの方をもっと目指している(Flick, 2009:123)。 結果として、良い意味で私の質問に回答してもらえるだろうミュージシャンから、目的を 持ったサンプリングを行った。多様性は二つの側面で追求されてきた。まず、技術的条件 において。情報提供者たちは全員、様々なチップミュージック・メディアで作業している 24

。この点が共通する特徴と特定の特徴に対する理解を高めると考えられた。またミュー

ジシャンはメディアの様々なレヴェルで作業している。他人によって作られたソフトウェ ア・インターフェイスを几帳面に利用する情報提供者もいる一方で、プラットフォームそ れ自体に密接して作業する人たちもいる。第二に、サンプリングのなかには、サブカルチ

24

C64、NES、Gameboy、Vic20、ZX Spectrum、Amiga、PC、MSX、Sega systems[SG-1000、SEGA Master System 等]、Atari systems[Atari400/800/XL/XE 等]等。

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ャーの多様性への配慮が存在した。情報提供者たちはデモシーン及びチップシーン出身だ が、実際のところそのどちらにも属していないミュージシャンも二人いる。 この選定はその他の点においてさらに均質的である。一般にチップミュージシャン の大部分はヨーロッパあるいはアメリカの男性であり、私の選定はこの分布を反映してい る。本稿の情報提供者は、批評的実例及び「善良な」情報提供者――経験と知識が豊富で、 自分の意見をはっきりと言う、思慮深い個人(Flick, 2009:122)――として選ばれた。参 加者の多くは 30 歳位で、チップミュージシャンの平均よりも若干高いかもしれない。

インターネット・インタヴューについて 情報提供者の視点を強調するために、本稿のテーマに従って、半構造化されたインタヴュ ーを計画した。目的はインタヴューの包括的な雰囲気を作り出すことにあった。そこで情 報提供者たちは、私が考えたこともない側面を言い出しやすいと感じていた(Kvale 1997:117)。また e-mail インタヴューで Kivits が重要だと述べている(2005:38)信頼の文 脈を確立するために、長期にわたってインタヴューを行った。この点はとりわけ重要だっ た。なぜなら知的能力と領域に関する知識だけでなく、思考スタイル、人格的特徴、その 他の要因も含んだ創造性という個人的行為(Lubart 2005)を中心に本稿が展開しているた めである。たとえば、一部の情報提供者は自分自身の音楽制作プロセスを一般的な用語で 論じるのではなく、反省を行うよう励ましを必要としていることが明らかになった。 e-mail インタヴューは本稿にとって最善の手段のように思えた。なぜなら e-mail は 個人的で思慮深いコミュニケーションの形式になり得るからだ(Kivits 2005:35)。一人の 研究者と同じように、非同期的な対話は、それぞれの質問に対する熟慮を可能にさせる。 参加者には自分自身のペースで思考と経験を反省する選択権が与えられている。即答を待 ち望んでいる研究者はいないからだ(Im and Chee 2003)。コンポーザーは、定まった場 所にある知識や記憶の回復を促すことも可能な、自分の音楽スタジオで質問に回答するこ とができるからだ。さらに、e-mail は、伝統的な意味での筆写を必要としないデジタル・ テキストの形式で生じるからだ。筆写が生じるということは、文字のなかの大文字表現、 綴りのミスの訂正[翻訳では Carlsson による訂正後の文面に準じている]、そしてもっと 重要なのは、スウェーデン語で行われたインタヴューを英語に翻訳するということである。

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e-mail インタヴューに付随する決定的な問題とは、シニフィアンの欠如である。ボ ディ・ランゲージと声の変化は e-mail では目に見えない。この点がコミュニケーションを 混乱させることがある。アイロニー、ユーモア、躊躇いの表現が誤解されることがある。 英語またはスウェーデン語を母語に持っていない人々とのインタヴューでは、事はさらに 複雑になる。しかしながら、二、三の混乱(私にとっての)を引き起こしただけだった。 おそらくは情報提供者が英語を用いてオンラインで人と話すことに慣れていたためだ。

インタヴューの手順 私は自分の手法の基礎をインタヴュー・プロセスに関する Kvale のモデルに置いている。 すなわち、主題形成、計画立て、インタヴュー、筆写、分析、確認、レポート(Kvale, 1997:85)。四つの大まかなテーマから質問は構成された。すなわち、背景、動機、手法、 文化的立場。質問は情報提供者それぞれに、同じように尋ねられてはおらず、対話の流れ アクティヴィティ

に従った。このようにして、一つの 活

動 としてのチップミュージックに関する私の理

解を高めるため、制約のない探索的なアプローチを持つことを私は望んだ(Kvale, 1997:94)。徐々に私は e-mail というメディウムは広範囲に及ぶ質問(「あなたがサウン ドチップを扱う動機は何ですか?」)にあまり適していないことに気付き、特殊性をもっ と多く必要とした(「この特定のサウンドチップを取り扱うのはなぜですか?」)。 私は e-mail を通じて全ての情報提供者と連絡を取り、自分の企画を説明した。一部 の情報提供者とは以前に出会ったことがあったので、インタヴュー行為への関心と参加者 との個人的な関係性の維持との間の釣り合いを保つため、自己流のやり方を見つける必要 があった(Kivits 2005:41-43)。情報提供者との初めて接触では、インタヴューに対する 「科学的オーラ」を形成するために、かなり格式張った言葉を使用し、それは次第に緩ま った。匿名でいたいかどうか、それともテキスト中にどんな名前が現れることを望むか、 私は情報提供者に尋ねた。 包括的で思慮深い回答を促すのはやりがいのあることだった。e-mail の回答では、 もっと個人的で具体的な考えというよりむしろ、「これこそが制限だ」というような、一 般的な回答に向かう傾向があった。彼ら自身の特定の仕事に関するもっと的を絞った質問 によって励まされる情報提供者もいる一方、創造的プロセスを説明することに気が進まな

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い情報提供者もいるようだった。創造的プロセスを反省するのが難しいこともある点を考 えれば、このことは理解可能であるし、またそれ自体で結果の役割を果たしている。 同時にいくつかの質問を送信した場合、それぞれの質問に対して冗長な返事を受け 取ることに、次第に気付いた。回答を別文書として添付する情報提供者もいた。だが一つ ほか

の質問だけを投げかけた場合は、その回答は通常、もっと短くて格式張っておらず、外の ワード・プロセッサで書かれていることが一度もなかった。インタヴューではなく対話の ように、回答がもっと自然に出てくるようだった。おそらく e-mail インタヴューは人々に 自分たちの気持ちと音楽について話すよう促しはしなかっただろうが、その代わり研究文 脈のなかで適切なことを発言するよう、ある種のプレッシャーは作り出したかもしれない。 時には情報提供者からの回答を得るのに数週間要すこともあるだろう。質問を少な くすれば回答が早くなるということを考えつつ、私は質問の量を変化させようと試みたが、 これは事実ではない。通常、念のための連絡をするまで五日から十日間待った。彼らにプ レッシャーをかけたくなかったためである。しかし、論文の期間を考慮して、情報提供者 の一部に、代わりにリアルタイムのテキスト・チャットとしてインタヴューを実施したい かどうかを尋ねた。単にインタヴューをより早く受け取るための考えだったが、よりリラ ックスした雰囲気を作り出すという前向きな効果もあった。即座のフィードバックの可能 性と共に、インタヴューは顔と顔を向き合わせた会話により近くなった。フォーマルでは なくなり、回答はより単刀直入になった。七人の情報提供者は部分的にこのようにインタ ヴューが執り行われた25。 インタヴューの分析の期間中、私は回答の分類を作成した。質問の意図との主な違 いは、私が動機を手法から切り離していないことだった。通常、手法は緊密に連関してい たためである。分類の多くは、理論と質問からかなり与えられたが(たとえば、メディア の美学、ノスタルジア、制御)、その他はインタヴューからもたらされたものだった(イ ンターフェイスの即時性)。

25

これらのインタヴューは、Skype あるいは IRC のどちらかを通して執り行われた。

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結果:チップミュージックの制作―そしてその意義 インタヴューの結果は、この後に続く最初の三つの節に呈示されている。それらの節は、 テクノロジー、プロセス、そしてシステムを超越することに関する観念を情報提供者はい かに語るのかという、最も一般的な話題を描出することを目的としている。第一節は、ミ ュージシャンがチップミュージック・メディアについてどのように考えているかを説明す る。プラットフォーム・レヴェルに始まり、ハードウェア概念とソフトウェア概念の間の 関係性を論じ、続いてインターフェイスに焦点を絞り、美学の話題で終わる。情報提供者 たちは美学が構成されることをどう考えているか、そして彼らはそのこととどんなふうに 関わるかを説明している。次節では、様々な技術及びメディアの制約と、可能性に関する 観念を比較しつつ、実践としてのチップミュージックを取り扱う。「システムを超越す る」と題された節では、メディアと文化の侵犯という観念について、情報提供者たちがど のように語っているかを呈示している。それはプラットフォーム及びインターフェイスの レヴェルと同時に、美学にも関連している。 第四節では、四つの広範な言説が、ノスタルジア、制御、ハッカーの美学、デジタ ル経済学と言い表される。この節ではミュージシャンの動機と手法が、イデオロギーの観 点からもっと分析される。 インタヴューの呈示は、これまでの章のテーマに関する論理に従っている。本稿の 目的は、情報提供者たちがなぜ、またどのようにしてチップミュージックを作るのか説明 を行い、そして関連のある概念を抱く一般的な読者のために、この知識を近付きやすいも のにすることである。インタヴューはチップミュージシャン全体の代わりを果たすもので はないとはいえ、私は参加するアーティスト全員に対する公平な感想を伝えようとしてき たと確信している。

ミュージシャンの紹介 インタヴューを行ったミュージシャンは、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリア 出身の 25 歳から 41 歳の男性である。その内の六人は 15 歳以下の時、1980 年代および 1990 年代にチップミュージック制作を開始した。その他の四人は 2000 年代にチップミュ ージックと共に出発し、年齢は 20 歳から 25 歳、一人は 35 歳前後だった。彼らは多くの 34

場合、大学の学位を持っていて、コンピュータ、音楽あるいはアートの枠組のなかで作業 をしている。何人かにとって、チップミュージックは彼らの職業とつながりがあるが、大 抵は趣味である26。 Alex Mauer はチップミュージックに多種多様なプラットフォームを使用しているア メリカの実験助手で、しばしばエミュレータで作業を行う。昔からチップミュージック・ メディアを用いて音楽制作することを望んでいた。彼の音楽はかなりヴィデオ・ゲーム・ ノスタルジアの影響を受けている。 Ed はアート・ギャラリーで働くスウェーデン人で、1990 年代初めデモシーンに初 めて現れた実験的な C64 ミュージックで知られている。彼は子供の時チップミュージック を制作し始め、それ以来止めたことがない。 Gijs Gieskes は音楽とアートを作るため、自分自身のハードウェアとソフトウェア を考案しているオランダのアーティストである。彼の音楽はしばしばノイジーで、インダ ストリアル系の趣がある。昔のヴィデオ・ゲームに着想を得たアート・プロジェクトで使 う音を作るため、チップミュージックを作り始めた。 Jeremiah Johnson(Nullsleep)はネットレーベル 8bitpeoples を共同運営している、ア メリカのアーティスト/ミュージシャンである。チップミュージック風の音で音楽制作を 始め、その後オリジナル・ハードウェアに魅惑されるようになった。彼の現在の音楽スタ イルはテクノロジーの誤用を中心に展開されている。 Linus Åkesson はクラシック作品の再解釈で知られるスウェーデンのプログラマで あり、多くの場合アセンブラでプログラムを行った。彼のルーツはデモシーンにあり、し ばしば自前の特注のメディアを用いてチップミュージックを制作する。 little-scale はオーストラリアのプログラマ/コンポーザーで、博士号の一環として チップミュージック・インターフェイスを組み立てている。メディアを再文脈化し、制約 と共に作業するためにチップミュージック制作することを好んでいる。彼の音楽は多くの 場合ミニマリストのコンポーザーと似ている。 Marc Nostromo(m.-.n)は LittleGPTracker というソフトウェアを設計し続けている、 ベルギーのプログラマである。携帯音楽機器を探し求めていた彼は Gameboy と LSDj を発 26

Patric Catani と Matt Simmonds はプロのミュージシャンであり、Gijs Gieskes はアーティストとして働き、 自製のローファイ・プラットフォームを販売している。little-scale はチップミュージック・プラットフォー ムの組み立てを伴う博士号を取得している最中である。Jeremiah Johnson は二つ目の学位を終え、ミュージ シャン/アーティストとして働く予定である。

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見し、それを自分自身のソフトウェアの礎にした。彼は自分の音楽をずっとディスコ・ダ ートと言い表し続けている。 Matt Simmonds(4mat)は英国のゲーム・ミュージシャンで、サウンドトラッカ ー・チップミュージックを発明したことでしばしば評価されている。チップミュージック を用いた音にある純粋さを主として好んでいる。彼は現役のデモシーナーで、自分自身の ミュージック・ツールもプログラムする。 Patric Catani は、それ自体はチップミュージックでない、独特のハードコア・ダン ス・ミュージックのため、子供の時からチップミュージック・メディアを使用し続けてい る、ドイツのミュージシャンである。素早い、完全な制御を与え、自らの創造性を後押し するトラッカーのあり方を気に入っている。 Zabutom はトラッカーの制約の範囲内でどのように自由に動けるかを好む、スウェ ーデンの学生である。彼のデモシーンにおけるルーツと合わせて、度々幾分かの意外性を 含んだ、幅広いメロディックな音楽を制作する。

メディアの美学 メディアが音楽にどのように影響を及ぼしているかに関する情報提供者の回答は、デジタ ル・メディアの五つのレヴェルという、Montfort & Bogost のモデル(p. 17)に従ってここ で呈示される。プラットフォームとその欠点に始まって、ハードウェアとソフトウェアと いう概念が情報提供者にとって相互にどのように関連しているかに関する説明が続く。次 節ではインターフェイスのレヴェルを扱う。そこではチップミュージック・メディアの即 時性(immediacy)を論じることがよく見られた。最後に、プラットフォーム、インター フェイス、文化がいかにチップミュージック概念を構築してきたか、そしてそれが彼ら自 身の音楽とどのように関連しているかについて、美学に関する問いを通じて情報提供者の 考えを呈示する。

本来的欠点

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「全てがあるべき姿で動作している時、そこで何をなすべきか? あなたの取れる最善策 は何もしないことである。そのようにして、同じようにずっとうまく事は進んでいくだろ う」(Jeremiah Johnson)

芸術的訴求力を有しているチップミュージック・プラットフォームには、エラーや予測不 能な側面が存在する。Sega Nomad のスクリーンが「素晴らしい水準の温かみ」(littlescale)をもたらしてくれるヒスノイズをどのように生じさせるのかというように、時にそ れはいわく言い難いものであることがある。Jeremiah Johnson は、大ざっぱなヴォリュー ム・エンヴェロープあるいはサンプル・チャンネルのクリック音といった、Gameboy のア ーティファクトが好きである。大部分のリスナーはこれらの欠点に気付かないかもしれな いが、それらは作曲プロセスにおける基本的要素になることがある。little-scale は YM2413 サウンドチップのクローンをどのように取り扱ったかに触れている。

「使っていたチップが安物のクローンだったせいで、この耳障りなトーンだけが唯一可能 だったんだ。インストゥルメント全てのオーディオを正確に出力しなかったし、ジャリジ ャリした波形になった。この完全に不完全なチップは、僕がその作品の、特にゼロ秒から 二分五十五秒の間で生み出そうと試みたことのある美学にとって、最も重要なものだ」 (little-scale)27

Ed にとって、プラットフォームの予測不能な側面は、制御したいと望むずっとネガティ ヴな側面であり続けてきた。「SID〔C64 のサウンドチップ〕の欠点は、いつも完璧に鳴 らないということだ。常にいくらかの「グリッチ」と「遅延」がある」。また様々な C64 の[モデル及びユニットの]間のフィルターの相違は、彼に曲中のフィルターの使用を控 えさせた。彼は制御を向上させるため、自分自身のソフトウェアをプログラムした。この プログラムは p. 56 でさらに取り上げられるだろう。 プラットフォームにおける欠点は、チップミュージックを芸術的実践として正当化 するためにしばしば用いられる28。この視点からすると、情報提供者たちがそれに関して 口数が少ないのは、多分驚くべきことだろう。これはその題目に関する、特定の質問の欠 如が原因かもしれない(彼らが自分たちでどのような重要性をそのことに帰しているのか、

27 28

右記 URL より曲を聴くことが可能。http://www.iimusic.net/catalog/2009/07/little-scale-dynasty たとえば 2009/2010 年の Playlist エキシビションに添付したリーダーを参照。

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私は確かめてみたからったからだ)。多分それは言葉では言い表すのが難しい魅惑なのだ ろう。それでもなお、それは、彼らがプラットフォーム・レヴェルに帰している重要性の 兆候なのである。

ハードウェアか、それともソフトウェアか? 情報提供者たちはハードウェアとソフトウェアの観点からメディアを論じている。それは 本稿におけるプラットフォームとインターフェイスという用語の使用に対応している。チ ップミュージックは通常、ハードウェアの観点から定義され、そして情報提供者の多くも ハードウェアの役割を強調している。

「ハードウェアのサウンドが大好だ。(…)そのハードウェアを使って作曲するのも大好 きだ。僕にとって、あらゆる点でこれが一番大事なんじゃないだろうか? (…)そう、 エミュレートされたものではなくて、実機に載っている本物のチップを使って作曲中だと 分かる時、確かにもっと触発される。この点は音質の認知の間に存在する(考えられる) 一つ以上の差異が原因で、心理学の領域に及んでいると、僕は個人的に確信している」 (little-scale)

little-scale にとって、オリジナル・プラットフォームを使用することは、チップミュージ ックに優先している。たとえ現代のクローンによって完全に模倣されることがあったとし ても、ヴァイオリニストが[本物の]ストラディヴァリウスの方を好むのと同様、特定の プラットフォームは特定の感覚をもたらす。それはまた彼の学術的作業にとっても極めて 重要である。オリジナル・チップミュージック・プラットフォームを用いて作曲するため に、彼はテクノロジーをやっているからである。同様に自分自身のテクノロジーを構築し ている Gijs Gieskes は、こうのよう述べる。「アイデアがある時、大抵それはデバイスの 制約に基づいている。だから言ってみれば、デバイスがそのアイデアを運んできてくれる ようなものだ」。 他のチップミュージシャンは、エミュレータと共に現代のコンピュータを、あるい はチップミュージック・プラットフォームのように聞こえるその他のツールを利用してい る。「ハードウェアにはうんざりだ」と Matt Simmonds は言う。Alex Mauer にとって、 「エミュレータが精確でない場合を除いて、ハードウェア・サウンドを聞くことに対して、 38

エミュレートされたサウンドを用いた作曲は大した違い」は存在しない。Simmonds と Mauer の両者は、他の幾人かの情報提供者のなかでよく見られるプラットフォームではな く、第一にその音とインターフェイスへの愛によって突き動かされている。彼らの作業に とって影響力が大きい機能は、しばしば、ソフトウェア・インターフェイスのレヴェルで 特定されている。おそらくそれは、ハードウェア・プラットフォームの役割が、語るのに 困難なためだろう。「常に影響が存在するのは明らかだが、テクノロジーに適合させるた めに音楽が《変更されて》いるということではなく、むしろそもそも少しも適合しない音 楽は決して登場しなかったであろうという、かなりの程度まで、エミュレータは作業に浸 透している」(Linus Åkesson)。それは変更することが困難な、物質的に定着した基礎で あり、従って検討するのは多分大して面白くないだろう。しかしながら、ソフトウェアは 変形するのがもっと容易であり、情報提供者はその作曲への影響をもっと検討している。

インターフェイスの即時性 チップミュージックの制作は複雑である必要も、時間のかかるプロセスである必要もない。 それどころか、情報提供者の多くは、チップミュージのインターフェイスがいかに速いペ ースのワークフローを可能にするか説明している。「いったんキー操作が分かってしまえ ば、何かについて考える時とそれをする時の間には、ほとんど時間が空かない」と Marc Nostromo は指摘する。彼は話を続ける。

「脳とサウンド・システムが直結しているようなものだ。インターフェイスが思考の過程 を邪魔することはない。(…)LSDj タイプのインターフェイスでは、良いアイデアがあっ たかどうかが分かるのに数秒しかかからない。他のタイプのプログラムだと数分かかって しまって、その後また繰り返してやってみようとは感じない」(Marc Nostromo)

「純粋に作曲の観点からすると、やっぱり game boy と LSDj を使うより素早く曲が書け るものは存在しない」と Jeremiah Johnson は語る。Matt Simmonds にとって、チップミュ ージック・ツールは、他所ではめったに見出せない瞬間的な満足をもたらしてくれる。 「何かのためのアイデアがある場合、僕はプランを立てるよりも間髪入れず実践的な面の 方へ赴くだろう」。アイデアとメロディを素早く書き留めるため、彼は頻繁にトラッカー を利用している。また、彼はチップミュージックのなかに見出す現実逃避的な特質につい 39

て述べている。Patric Catani も同様に、このことに触れて次のように述べている。「「ゾ ーン」に飛び込んで作曲にただ集中して、時間と身の回りのあらゆることを忘れるのは本 当に楽しい。この感覚が緩むことがなかったら良いのにと思うよ!」。もっと即時的なイ ンターフェイスが、こうした逃避の感覚、すなわちメディウムへの没頭経験を促すという ことは起こり得る(p. 51 参照)。 情報提供者たちはみな、非常に経験豊富なチップミュージシャンである。思うにそ れが即時性の感覚を促している。あなたがメディウムに慣れていた場合、もっと速い作業 ペースを展開するかもしれない。だが、情報提供者がチップミュージック・インターフェ イスを、彼らが慣れているその他のインターフェイスと比較する時、依然としてその即時 性を強調するのである。「Kore〔最新のミュージック・ソフトウェア〕で丸一日かけて 30 秒ほど完成するくらいなら、FT2 〔Fasttracker II〕を起動して、一時間かけて曲全体を 吐き出す方が良い」(Matt Simmonds)。即時性の感覚はどこから来るか、それは「広範 囲のエフェクトで用いる「限られた」量のパラメータと、編集を間違いなく高速化させる 忍者のような[素早い]動きのキー操作だ」と Marc Nostromo は考える。「(…)他のプ ログラムのワークフローは遅過ぎて、僕の「これをしたらどんなことが起こるか試しにや ってみよう」という感じでは上手くいかない」。 たとえば Gameboy のような、デバイスの可動性はアーティストの多くにとって魅 力的であり、またインターフェイスの即時性を増大させる。ミュージシャンに曲のアイデ アが浮かぶと、どこにいるかに関わりなく、彼/彼女はポケットから Gameboy を取り出 し、数秒以内にソフトウェアを起動させることができる。この点は小型のラップトップと も質的に異なっているように見える。そこではサイズと起動時間が障害になり得る。 Patric Catani が言うように、「プログラムを起動して[とりあえず]やってみるのが、時 には最良の方法なんだ」。 インターフェイスの即時性は、おそらくは、ハードウェアそれ自体よりさらにいっ そう、機械と密接して作業する感覚を促すことがある。このことは、チップミュージック の美学とは何であるかという問い、そしてそれがハードウェアとソフトウェアそれぞれと、 どのように関連するのかという問いを投げかける。

機械の美学?

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「僕が一番好きなのが、音の「純粋さ」なのは間違いない。インストゥルメントがどうし たら一体となって働くかについて考える必要なしに、どうやったらメロディその他にとに かく集中できるだろうか。本物の/サンプルされたインストゥルメントを使うこととはか なり違うのだ」(Matt Simmonds)

Matt Simmonds は音楽制作にサンプルベースのソフトウェアないしはエミュレータを利用 している。なぜなら、前述の通り、「ハードウェアにはうんざり」と彼は考えているため サウンド

だ。人を惹き付ける一番のものはプラットフォームではなく、 音 である。同じく主とし てエミュレータ使用して作業している Alex Mauer はこう語る。「コンピュータ制御のオ ーディオが、一台のコンピュータ《のように聞こえる》のが好きだ。最近の、見かけ倒し のコンピュータ・オーディオ・オプションには興味がない」。チップミュージックを決定 付ける側面は、ハードウェアではなくむしろソフトウェアに見出されると、Marc Nostromo は確信している。彼の言うところでは、コマンドとテーブルは、音色とポリフ ォニーにおけるプラットフォームの制約を乗り越えるために開発されたもので、それこそ がチップミュージックの美学を導いたものである。Ed と Linus Åkesson もまた、この点に 触れている。チップミュージック・ソフトウェアのほとんどは、1980 年代初め C64 ミュ ージックが発展したあり方に由来する機能を備えていると、Matt Simmonds は主張する29。 これらのチップミュージシャンは、音色とインターフェイスがチップミュージック の美学をいかに形作ってきたかに焦点を合わせている。Linus Åkesson が述べるように、 チップミュージックの特徴ある音色は「数学的に単純な波形」に基づいている。彼にとっ て、それらの波形はチップミュージックというジャンルにとって根本的なものだが、また インターフェイスの重要性についても彼は論じている。近頃彼は Chipophone――チップミ デモンストレーション

ュージックを演奏するために改良した年代物のオルガン――を用いて 実

演 をした。

Chipophone を用いて、彼はかなりの数のチップミュージックのクラシック曲を演奏するこ とができた。チップミュージック・プラットフォームとインターフェイスのなかで最も特 徴的な機能のいくつかを、そのオルガンに組み込んでいたためである。それは古典的なサ ウンドチップの音色とポリフォニーにおける制約を特徴としている。演奏者が曲の短い断 片をループし、またそれら断片を移調することができるようにしており、ユーザーはアル 29

彼はピッチベンド、ヴィブラート、アルペジオ、インストゥルメント/ヴォリューム用のテーブル、ノ イズ波形の機能に言及している。

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ペジオやピッチ・スライド等のエフェクトを取り扱うことができる。Chipophone は、プラ ットフォームとインターフェイスがチップミュージックの美学にどのように貢献している かに関する洗練された実演である。 だが little-scale が先に述べたように、オリジナル・プラットフォームを用いて作業 する時、彼はもっと触発される。たとえテクノロジーを正確無比にエミュレートしている としても、エミュレータを用いて作業する時には、彼にとって失われた特質が存在してい る。オリジナル・プラットフォームを用いて、別様に自分は曲作りをしているのだと彼は 考える。もしこれが本当であるとしたら、一般的なチップミュージックの美学も同様に作 用し続けていると想定することも、理に適っているだろう。言い換えると、チップミュー ジックの美学は、最初からエミュレータで作曲が行われていたとしたら、違ったものにな っていただろう。 Ed は機械の知覚された美学を分離する可能性と、もっと物質的に基礎づけられた 美学について論じている。

「グリッチでとっぴなリズムを、またこの種の音を生じさせられるのを楽しいと感じる人 もいる。ところが別の人はシュラガー(schager)[ドイツ語の歌唱を特色とするポピュラ ー・ミュージック]風の音楽を演奏するパルス波に耽っている。言うなれば、二つのうち のどちらの方が「独創的な機械の音楽」に戻ることにもっと重点が置かれているのかなん て、僕の知るところではないのだ」(Ed)

つまり、機械の美学はメディアにもジャンルにも両方言及することが可能である。典型的 なヴィデオ・ゲーム・ポップ・ミュージックは機械の美学になり得るが、もっと根源的な ビルトイン

ポストヒューマンの視点からすると、機械はそれ自体が固有の美学を有していると主張さ れることもある。この点は、チップミュージックを一つの実践として説明する次節でさら に扱われるだろう。

チップミュージックの実践

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前節では、このメディアに関する情報提供者たちの考えを重点的に取り扱った。そろそろ チップミュージシャンたちが自分たちの音楽制作方法について、どのように語っているか を眺めるために、実践としてのチップミュージックに目を向けるとしよう。

障害と原動力としての制約 チップミュージック・メディアの物質的構造と年代物または時代遅れのテクノロジーとし ての価値のため、情報提供者たちが音楽制作における制約の役割を思案しているのも驚く にはあたらない。制約は、たとえばインターフェイスと美学の関連でほとんどのミュージ シャンにとっての関心事だった。制約という用語は、プラットフォームの機能の不足に言 及するため、量的な感覚で用いられる。最大の関心事は音色とポリフォニーだが、同様に メモリ、ストレージ、プロセッサのリソース、楽器法も話題にされる30。これらの制約が 創造の推進力としての役目を果たすというのが、よく見られる考えである。

「制約は創造性にとってキーとなるものだ。自由を持て余していたところで何もできない のに対して、様々な規則と障害こそは創造性を刺激する。それが技術的制約である必要は なく、ジャンル、美学、予想されるオーディエンスの受容、デッドラインその他に関する ものであることもある」(Linus Åkesson)

チップミュージックの制作を始める前にも、little-scale は制約が自分の作曲にいかに作用 するかに関心を抱いていた。たとえば彼は音楽制作における睡眠不足の役割や、さらに身 体のジェスチャーを用いて電子サウンドを制御するための、様々な手段も検討した。睡眠 不足といわゆるフィジカル・コンピューティングの結合は、そのことを、十分に休息した 身体が細心の注意を払って複雑なミュージック・インターフェイスのあらゆる側面をいか に制御できるかと比較した場合、限定的だと評されることがある。だが、あなたがいかに 十分に休息しているかどうかに関わりなく、その可能性の量は圧倒的であり得るし、そし て「複雑なセットアップという長所は、(時として)一つの制約に変わることがある」 (Patric Catani)。

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Linus Åkesson と Patric Catani は、ソフトウェアで定義可能なインストゥルメントの量がいかに制限されて いるかを説明しているが、一方で little-scale は YM2413 サウンドチップにおけるユーザー定義インストゥル メントの不足が限定的であることに触れている。

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それにも関わらず、プラットフォームが彼らの音楽制作にいかに作用しているかに ついて質問した際、その回答は可能性というよりむしろ制約の観点から大体述べられてい る31。この点で、チップミュージック・メディアの選択は、デジタル・ミュージックの普 遍主義の観念と対立する、「過剰」をもたらすメディアに対する反動として見なされるこ ともある。情報提供者の間には、自ら負け犬と位置付けようとする傾向が存在する。 Jeremiah Johnson が、彼にとって繰り返し見られる概念として触れているものである。Gijs Gieskes はこのように述べる。「アイデアがある時、大抵それはデバイスの制約に基づい ている。だから言ってみれば、デバイスがそのアイデアを運んできてくれているようなも のだ」(Gijs Gieskes)。 だが情報提供者たちのなかにはもっとヒューマニスティックな動機もある。 Jeremiah Johnson はこのように述べる。「音楽において、また生活において、危機的状況 のなかで最もよく活動しているように感じる。〔チップミュージックは〕動機の感覚を生 み出し、解決されるべき「問題」を与える(いかにそれが抽象的あっても)」。その問題 は、Ed の言葉では「ほぼ全くコストをかけずに何かを作り出すための単純な手段」を軸 として展開している。数人の情報提供者は、リソースとコストの観点から音楽を論じてい る。Linus Åkesson は、(プラットフォームのなかで通常は)回避不能なハードな制約と、 回避するのにコストがかかるソフトな制約があると言う。コストは――ファイルサイズあ るいはプロセッサ・パワーのような――デジタルなものであることも、またさらに制約を 乗り越えるために必要とされる「退屈な」作業の量のような――社会的なものであること もある。 ハードの制約が、ポジティヴな、権限付与の観点で説明されることは稀である。そ れどころか彼らの音楽を制限する何かとして説明される。プラットフォームのなかで予め コード化されているヴォイスや音色の量は、一般的にネガティヴな言い回しで説明される。 ソフトウェア・インターフェイスに関して言えば、制約は一般的にポジティヴなものとも っと見なされている。 また数人の情報提供者は、自前で可能性と制約を構築する自分自身のインターフェ イスを開発している。1990 年代後期、サウンドチップの予測不能な側面を制御する衝動 に駆り立てられて、Ed はカスタマイズした C64 ソフトウェアで作業し始めた。彼は[こ のように言う、]「あらゆることを、そしてもっと多くのことをしたかった。残念ながら 31

制約の代わりに「機能」という言葉が私の質問に使われているが、特に意味はない。

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最近は、身を離したいと思っている同じ厄介事に行き着いてしまった。どのカラムも何ら かの形で可能性をシンボル化している、スクリーンいっぱいの数があった」。Marc Nostromo はインターフェイスにおける冗長性とミニマリズムのバランスについて語って いる。Nostromo にとって、ツールは効率性を理由に制限されるべきであって、美学ある いはテクノロジーを理由としてはならない。一方で Linus Åkesson は、わずかな波形、ロ ーファイなサンプル、3~6 のヴォイスのポリフォニー等、チップミュージックの基本的 特徴として彼が見ているものをシミュレートする、現代的なハードウェアでソフトウェア エコノミー

を作っている。それはある程度は 節 約 の疑問だが、また「技術的なトリックが実際に、 あなたがコンポーザーの帽子を被る際持っている可能性に作用するのは楽しいものだ」。 それでは要約しよう――メディアとの愛憎関係があるかのようだ。十年近くの間、 Gameboy を用いてパフォーマンスをしている Jeremiah Johnson は次のように述べる。「演 奏している間、game boy をぶちのめしたいと思うことが常々ある」。彼はインターフェイ スの制御を突破しようとする試みの挫折について触れている(p. 61)。それに対して Zabutom は、相容れない状況ではなおさらないと作曲プロセスを説明する。「制約の範囲 内で僕は「自由に動く」ことができる。あなたがどんなサンプルやインストゥルメントに アクセスするかによって制限されている時と比べると、限界を定めているのはいわば自分 の想像力だけなんじゃないかな」。Zabutom は制約を作曲プロセスの不可欠の、または生 来の要素ですらあるとして受け入れてきているかのように見える。Patric Catani はこう述 べる。「第一に、自分が学ぶ、あるいは学ばなければいけないコンピュータを使ってどう かにして音楽をやることは、それに「ふさわしい」やり方でコンピュータを扱うことだ」。 たとえミュージシャンがそのインストゥルメントを嫌っていても、彼/彼女はそれを用い た作業の仕方を学び、彼/彼女がしたいと望んでいることを実現しなければならない。次 節では情報提供者たちがこれらのメディアとどのように「戯れて」いるかを説明しようと 試みる。

表現エフェクトとパターンのプレッシャー 作曲プロセスに関する情報提供者たちの回答は、主としてインターフェイスのレヴェルに 関係していた。プラットフォーム・レヴェルに密接して作業を行う Gijs Gieskes と littlescale でさえ、大部分はインターフェイスとオペレーションについて語っている。例外は 45

C64 に関する Ed の回答である。三つ目の音を生み出すために二つの音にシナジーを与え る、プラットフォームに組み込まれた機能を彼は高く評価している32。彼はそれを白黒の 写真に『Photoshop』のカラー・フィルターをかけることと比較する――「画像は今まで 通りそこにあるがあっても、色彩には何かが起こったのだ」。 インタヴューにおける全般的な傾向は、エフェクトとパターンがインターフェイス のなかでどのように作動するかによって、作曲プロセスにどのような作用が及んでいるか トーン

を論じることである。p. 23 で説明したように、パターンとは 音 の構成を構築するノート の束である。ノートに隣接して、ミュージシャンが音色、ピッチ、ヴォリュームを変更す る様々なエフェクトを置くことができるカラムが存在している。 エフェクトへの簡単なアクセスをもたらしてくれるので、トラッカーでは異なった 音楽を制作していると Patric Catani は考える。エンヴェロープを描くためにマウスを用い て別個のスクリーンに入るインターフェイスと比べると、たとえばエフェクト・カラムで 曲のテンポを変更するのはかなり楽である。それはインターフェイスの即時性に関連し、 (p. 24 で言及したように)また特定の美学を促す。Matt Simmonds はエフェクトの役割を このように説明する。

「ギター、ピアノなんかと同じで、そこでは「ライヴ」演奏を行うあなたの管理と、その 曲の別パートに対するアレンジ手段を統合しなければならない。エフェクトも同じことだ。 パラメータだけでなくトラッカーのテンポがエフェクトその他の「チック・スピード」に どのように影響するか。ダイナミックスを作り出すために、あなたに出来ることがある。 そして本物の楽器を演奏するのと同じように、その他の場所を埋め合わせなければならな い音楽では、悪影響(negative effects)を持つのことのあるエフェクトが存在する」(Matt Simmonds)

手指の協調運動との比較は、エフェクトのスタイル上の重要性を照らし出す。チップミュ ージック・メディアの音のスペクトラムが、まさしく伝統的なインストゥルメントのよう に制約されていることを考えれば、エフェクトは個人的なスタイルを開発するのに決定的 な手段になり得る。表現要素を音楽に加えるためには、エフェクトが重要なのである。歴 史的に見て、エフェクトの使用は、マキシマリズムの文化にいる人の技能を証明する重要

32

C64 の SID チップは様々な種類のリング・モジュレーションとオシレーター同期が可能。

46

な役割を果たしてきた。また、情報提供者はインターフェイスの影響を論じている。サブ メニューに隠れているソフトウェアと比べると、エフェクト・カラムは常に目に見えてい る。トラッカーのエフェクト・カラムと一体になって、「シーケンサーでは外観上任意の 関連性なの対し、[トラッカーでは]各行と直接的な関連性」が存在する(little-scale)。 エフェクト・カラムの絶えざる現前は、「トラッカーは自分がそれぞれの段階の真っ最中 に立ち会っていて、何でも微調整可能な気持ちを抱かせる」(Matt Simmonds)状況を増 大させる。Patric Catani は、エフェクトがプラットフォームに対する命令リストを参照し ているハイパー・シーケンサーのエフェクト操作に、彼の音楽がどのように影響されてい るかを説明している。

「それ自体極めて複雑なパターン〔の音〕を作ることや、一つの音のなかでパルス波、三 角波、矩形波、ノイズからオシレーターを切り替えることや、(…)そして過剰なメモリ ないしはリソースを使用することなく、次のステップでそれを修正することができる。 (…)それが自分のトラッカー・ミュージックをともかくもさらにずっとメロディックな、 起伏のあるサイケデリックな曲に変えたのだと思う」(Patric Catani)

すぐ手の届くところにエフェクトを持つことは、Catani がよりダイナミックな音に向かっ て作業する原因であり続けている。一方、パターンは反対の影響を持つことがある。Matt Simmonds が言うには、「それについて考えてみると、トラッカー的なソフトでパターン を使うことは、おそらく最終的にどう鳴るのかに関する必要不可欠の要素だ。(…)シー ケンサーでそれを実行することと比べると、トラッカーは(僕にとって)、構造がより リ ジ ッ ド

「固定的」だろうと思う」。サウンドトラッカーの一つのパターンがヴォイス全てをどの ように束ねるかに彼は言及している。一方、ハイパー・シーケンサーだとヴォイスはバラ バラである。サウンドトラッカーは、各ヴォイスがそれ自体で展開する「流動的な」配置 編成を作り出すのをより難しくしているように思われる。ヴォイス全てが同じパターンの なかに束ねられるためである。しかしヴォイスが別々に構成されている LSDj のようなハ イパー・シーケンサーを使用する時にも、同様の傾向があるように思われる。little-scale はこのように言う。「僕が MIDI シーケンサーで作ったものは大抵の場合、ループしてい る、そして時間を経るにつれもっと複雑に、きめ細かになる素材から制作されている。お そらく僕が LSDJ で作るものはもっと断面的だ」。 47

Ed はこの区分化された、固定的な配置編成のスタイルから離れようとしていた。 たとえば 3/4 拍子のビートを 7/8 拍子のビートと組み合わせられる複雑なポリリズムを作 り出すため、ヴォイスを分離できるやり方が好きだったので、DMC というソフトウェア を用いて作業し始めた。C64 のシナジェティクなエフェクトと組み合わせることで、リニ コンポジション

アなインターフェイスであるにも関わらず、ダイナミックな 構 成 を生み出す力強いポ テンシャルが存在している。曲の多数で頻繁に音の再利用を行ったりループさせたりして いるのは、新しい文脈において音を大変違ったように鳴らすことができる、複雑な配置編 成によるものだと Ed は述べている。 Linus Åkesson はそれぞれのヴォイスを独立して配置することの、もう一つの有用 な側面を指摘している。ハイパー・シーケンサーでは、通常ユーザーはパターンを移調す ることができる。これはたった一つの数を変更するだけで、ベースラインが A の代わり に C で演奏されることを意味している。「トラック 1 にベースライン、トラック 2 にア ルペジオがあって、両方とも Am で演奏中だとしよう。Cmaj に変えたいと思ったらベー スを C に、アルペジオを Em に移調することができる。するとすぐそこに Cmaj7 がある という具合だ」。サウンドトラッカーであれば、この変更はもっと多くのことを必要とし ていただろう。というもの、新しいパターンが作られねばならず、そしてそれはより多く のメモリも使用するだろうから。 またパターンが構築されるという方法は、情報提供者の一部にとって創造的誘因で ある。ノートがもっと恣意的に置かれることのある現代的な「ピアノロール」ソフトウェ アと比較すると、パターンは固定された量のステップと共に一つのマトリックスを形成す る。パターンは限られたポリフォニーと相まって、ミュージシャンに利用可能なステップ を用いて創造的になるよう挑む。Patric Catani は次のように述べる。「64 ステップのパタ ーン・クォンタイゼーションにおけるスペースの不足は、かなりの移動する/展開する要 素を「何とかして作ること」を通して、僕がビートとグルーヴを組み立てるたくさんの新 しいやり方を発見することにつながっている」。また、パターンと共にプレッシャーの感 覚が存在することもある。「一つのパターンは、僕にとって埋めるべき時間の束ように感 じられる。その次はその隣に、時間枠に組み入れるべきもう一つのパターンがある、とい うわけだ。それに対して、ピアノロールは広大無辺の無人の道路という感じだ」(Matt Simmonds)。もしかすると、この点は Amiga デモシーンにおける彼の過去に由来する面 影かもしれない。そこではサウンドトラッカー・チップミュージック(いわゆる mods) 48

は、録音としてではなく、独自のファイル形式で配布された。リスナーはその曲がどのよ うに構成されているかを見ることができた。そう、「mod は「ソースコード」ということ もあって、曲を書く時、少し見せびらかす必要を感じる(…)インストゥルメント番号や 何かを抜き出してみたり、あるいは少し複雑に見せるために余分なヴォリューム変更を置 いてみたり」。彼はまたこうも言う。「やはりそれは「違っている」ように感じる。単に 編集しているだけということでもなく、あるいは決して曲を書くことに対する自分の習慣 でもなく」。この感覚は個人史と文化、双方のインターフェイスの帰結である可能性があ る。Simmonds にとってチップミュージックは、よりシリアスだと説明する彼が作るプロ フェッショナル・ミュージックと比べると、もっと遊び心に満ちた音楽を作らせ、それを もっと速く生み出させる逃避主義的な本質を持っている。もしかすると、インターフェイ スは楽しみのために音楽を作るという習慣と関連しているのかもしれない。そこではプレ ッシャーは、特定の音楽を必要とするクライアントではなく、インターフェイスからもた らされる。 エフェクトとパターンが情報提供者の音楽制作にどのように作用しているかに関し て、具体的な例を得るのは難しいと分かった。一般にエフェクト処理は、権限付与の要因 であると考えられているように見える。それに対してパターンは、多くの場合、権限剥奪 の観点から説明される。作曲という実践のさらなる探求のため、情報提供者たちはアイデ アから音楽へ進むプロセスに関する、もっと一般的な質問を受けた。

アイデアから音楽へ アイデアを伴って音楽制作を始めるかどうか、もしそうなら、それらのアイデアはメディ ウムの選択にどのように影響を及ぼしているか、情報提供者たちは質問を受けた。「プラ ンを立てるよりも間髪入れず実践的な面の方へ赴く」(Matt Simmonds)というのが支配 的傾向である。「大抵、セッションを始めて、どこへ進むことができるかを見守る。 (…)だから Amiga あるいは Gp は自分のジャム・ツールなんだ。ただあるがままにそれ らは楽しませる」と Patric Catani は述べる。彼にとって、トラッカーはあまりプランニン サウンド

グを必要としない。なぜなら、「トラッカーでは全てが一つの箱に収まっている。 音 と アレンジがくっついている。〔トラッカーで〕変更する全てのことが直結している」から だ(Patric Catani)。メディウムに対する大きなアイデアを文字に起こしていると、大抵 49

インスピレーションを失くしてしまう。なぜかと言えば、その成果にがっかりするから、 と Zabutom は述べる。

「それどころか、まるでアイデアの十分の一を記すかのように、良い状態には結局ならな い。使うトラッカーがランダムだと、もっと自然なインスピレーションの流れを利用する ことから構築が行われる。するとそれは、むしろインストゥルメントとのコミュニケーシ ョンに近いのではないか。一つの曲がそこから生じるまで、あちこち操作するんだ」 (Zabutom)

トーン

Ed にとって、このプロセスは一見したところ無調のパーカッシヴな音に現れる音調を聴 くことによって浸透されている。彼はここからメロディを作り、パーカッションを変更し、 メロディを合わせ、等々。このようにして彼は構築的な解釈学的円環のなかで持続的に曲 を再構築する。これはまた Gijs Gieskes が次のように説明しているものである。「大抵の 場合、ひっきりなしに[現在編集する]曲を変更し、自分の気に入らない部分を取り去っ ていくことになる……完全に切り刻まれた何かが出来て終わる」。Gieskes はさらに Gameboy を二倍速で動作するよう改良した時のことに触れている。「「hui_alla_hakkuh」 というトラックでは、超高周波のヴィブラートを生成するために、8mhz で動作する gb classic を使用した……(@1.12)。これだとテクノ・サウンドのような音がした。そのた め、トラックが少しガバっぽくなった。従って「ハードウェアがトラックに影響を及ぼし た」みたいなものだ」(Gijs Gieskes)33。little-scale の音楽は、多くの場合、サウンドチッ プ用のインターフェイスの組み立てを行っている、彼の博士号の帰結である。「それらの インターフェイスを使ってチップミュージックを作曲するという僕の行為は、第一にその コンポジション

テクノロジーの実演だ――テクノロジーの観念は 作 曲 の観念に先行している」。 この意味で、チップミュージシャンはメディウムを用いたタイトな相互作用のなか で音楽を構築している。インタヴューから判断するに、彼らは大抵、広範囲に及ぶアイデ アを持たずに作曲を開始している。このようなアプローチは即時的なインターフェイスに よって促進されている。とりわけ、あなたが後ろポケットの Gameboy という形でそれを 持っている場合には。しかし Alex Mauer は異なったアプローチを持っているようだ。彼 は多くの場合、テクノロジーの選択を条件付ける、あるアイデアから始める。 33

右記 URL より曲を聴取可能。http://gieskes.nl/music/?file=gameboy_2003-2005

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「曲を作る前は大抵、使いたいコンソールが何か自分には既に分かっているし、それをや るために使わなければいけないソフトウェアが何かも既に分かっている。(…)普段、夢 のなかで聞いた曲を思いついた場合は、使用されることになっているサウンドチップが何 か既に分かっている」(Alex Mauer)

従ってメディウムは、音楽制作のプロセスか、あるいはアイデアを用いた予備作業のどち らかに影響を及ぼしている。メディアの広範囲にわたる利用は、あなたがインターフェイ スとプラットフォームに既に適合する新しい音楽について夢を描く原因となることがある。 これはメディアへの没頭(immersion)[没入(absorption)ではないことに注意]と言い 表せる。

没頭 ニューメディア理論では、ユーザーとテクノロジーとの間の区別を広めることによって、 テクノロジーが即時性の感覚をどのように作り出すよう考案されているかを説明するため、 没頭という用語がしばしば用いられる(Nechvatal 1999)。プラットフォームの複雑性と 別の新たな(alternative)ポテンシャルを曖昧化するようインターフェイスが設計されて いる場合、この種の即時性は、逆説的にもユーザーとプラットフォームの間の距離を増加 させることがある。チップミュージシャンはプラットフォームというレヴェルに密接して 作業しているため、ここではこの用語は、もっと権限付与の意味で用いられる。インター フェイス、プラットフォーム、美学、制約に関する彼らの取り組み方と考え方は、没頭と いう観念と関連しているように思われる。情報提供者たちの間には、即時的なインターフ オーセンティック

ェイスに関する観念が存在している。音の「純粋さ」、 本 来 的 なテクノロジー、欠点の あるプラットフォーム等々。彼らは機械の核心に向かって進んでいる。システムの外部へ 出るという欲望がある時でさえ、まずそのことに関する基礎を理解し、検討する必要があ る。 「彼らが使っているツールが何であろうと、言うなれば「フロント・パネルの背後 でも作業」しないチップミージック・ライターはほとんどいない」。またトラッカーを例 にとって Matt Simmonds はこうも述べている。「言うなればあなたは、アセンブリ(低水 51

準のプログラミング言語)と同じように、「金属通(right on the metal)」[機械語を解読、 制御可能なほど、その機械に精通しているということ]なのである」。だからたとえチッ プミュージシャンが直接的なインターフェイスの域を越えて作業しないとしても、それで もトラッカー・インターフェイスは没頭感覚を促すのである。 没頭とは、技術的用語だけでは説明が難しい個人的経験である。没頭は単に合理的 な理解やメディウムの特徴への適応にとどまらない。Patric Catani にとって、トラッカー には他所では見つからない特殊なグルーヴがある。グルーヴの存在は技術的用語で証明す るのが難しい。なぜならそれは物理学というよりむしろ感覚に関するものだからだ。彼は M-.-n こと Marc Nostromo によってプログラムされた LittleGPTracker について、このよう に語る。

「M-.-n はそのタイミングをあるいは一体全体極めて音楽的なことをやってのけた。 Protracker が同じ感覚を与えてくれる……。一回りしてみるだけで、音楽機械をシミュレー トするコンピュータというよりむしろ、テープ・マシンか即興演奏の装置であるかのよう な感覚をあなたは持つ……(?)[原文ママ]。それが一つの感覚以上のものであること を、僕は上手く言い表せない……。(…)あたかも機械がそのことをするために組み立て られたかのような、ある種の感触がある。特に Amiga はことあるごとに Roland 808〔ドラ ム・マシン〕のような趣をもたらしてくれる」(Patric Catani)

little-scale は、彼の作る音楽がプラットフォームの選択によってどのような作用を受けて いるか説明する。なぜこういうやり方なのか説明することに似た難しさを彼は抱えている が、ノスタルジア、音色、ポリフォニー、そして社会的に構築されたプラットフォームの 美学等の側面に触れている。

「僕は他のシステムを使って実行するより、VCS を使ってもっと猛り狂った音楽を作る。 他の何かを使うよりも、SEGA Mega Drive を使ってもっとメロウな音楽を作る。SEGA Master System はいつもご機嫌な音を鳴らしたがっている(さもなくば僕がそれを叩き込ま なければいけない!!)――最後のことはノスタルジアが原因だと思う。僕が考えている 以上三つの例は、おそらく音色の問題になるだろうか? あるいは少なくとも、そのこと は一つの役割を果たしている気がする。(…)もしかすると、チャンネルの数、そして特 定のコンソールが持っている「べき」音楽のタイプの先入観。たとえば SEGA Master

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System なら、陽気で、高いピッチのデチューンのかかったリード、といったような」 (little-scale)

没頭は技術社会的なプロセスとして理解されるべきである。そこにある先入観は、メディ ウムが含んでいるものとまさに同じ位、重要になり得る。没頭的なチップミュージック・ プロダクションは個人的嗜好、存在=政治論、美学を含む一つのプロセスである。シンセ サイザー/テクノ・ミュージックからのインスピレーションを、彼の Commodore 64 ミュ ージック「Made Measures are Broken」にどのように持ち込もうと試みたか、Ed は説明す る。

「それらの曲が C64 に適合していたと、自信を持っては言えないだろう。それどころか、 それは音が与えられ得る余裕を与えられたプロセスだった。僕は実行できることの限界を 打破したかった、あるいは少なくとも実行できることを開拓したかった。そしてその考え は、決して単純な解決策を呈示することではなかった。結局、自分が求めた難解なサウン ドスケープを生み出すことはできなかった(…)」(Ed)

没頭はメディアとユーザーとの間の対立感覚を含んでいるように見える。それは Heidegger の用語では、技術に対して微睡む状態を出で‐来‐たらす(brings forth)[Hervor-bringen]、非常に能動的な人間の関与を要求するプロセスである。音楽を生み出すた めに脳に電極が接続されている種類の没頭ではない。チップミュージシャンはメディアに ついての彼らの美学的な先入観と格闘し、インターフェイスのなかで新たな手段を発見し ようと試みる。Zabutom は LSDj のインターフェイスがいかに自分の作品に作用している か論じている。「たまたまその外側へ出てみようとする場合であっても、進んでそれを活 用するのが、やはり良いことがある」。言い換えるなら、没頭は侵犯と一緒になって働く。 それこそが次節の話題である。

システムを超越する 没頭とは対照的に、情報提供者たちの間には、彼らが入り込んでいる文脈――物質的文脈、 文化的文脈の双方――を超越しようとする意志が存在する。もっとも、チップミュージシ ャンたちは、プラットフォーム・レヴェルの制約を乗り越えることについてはめったに語 53

らない。little-scale が幾分曖昧に述べている通り、「ハードウェアの改良がなければ (?)[原文ママ]、技術的制約は絶対的である」。彼は続けて言う。

「人が特定のコンソールあるいはチップから生じることを予想だにしない音楽を、僕は作 り続けてきた。だが、おそらくこれは技術的観点から何かを超えることと同じではないだ ろうと思う。(…)もしかすると、技術的に何が可能か、そして可能でないのかを徹底的 に深く掘り下げるよう人々を駆り立てることによって、チップミュージックは知覚された 限界を打ち壊すのではないだろうか」(little-scale)

このような意見は、サウンドチップの制約を押し広げる、あるいは克服さえするハッカー としてのチップミュージシャンという、世に広まっている考えと矛盾する。それはその物 理特性よりも、むしろプラットフォームに関する観念に焦点を合わせている。 情報提供者の何人かにとっては、これまで聞いたこともない音を実現しようと試み ることが重要である。Jeremiah Johnson が言うように、新しい音を作ることは、「ほとん どの場合この考えの一部だ」。Ed にとって、それは「あまり使用されてきていない何か を前へ進める」ことに対する動機であり、そしてそのことは彼にとって、テクノロジーを 用いて作業し続けられるために必要となってきている。経験豊かなデモシーン・ミュージ シャンは特にこの側面を強調する(Zabutom, Linus Åkesson, Ed)。おそらくデモシーナー が常にテクノロジーの限界を押し広げることに集中していたからだろう(p. 9)。けれど も、Matt Simmonds は例外である。二十年以上の間、彼はデモシーンのチップミュージシ ャンであり続けているが、音を用いた新しいトリックを彼にとって大事な意欲として説明 することはない。 システムを超越することに関して言えば、ソフトウェア・インターフェイスのレヴ ェルはより広く論じられている。Zabutom はしばしば、インターフェイスの「制約の外側 で作業すること」によって自分を試そうとする。これはソフトウェアにあまり得意ではな い何かをさせることに関わっている。たとえば彼は、インターフェイスを不安定にさせる こともあるとても速いテンポを LSDj で用いるだろう。それはプログラムを使った別の作 業方法を促す34。また、彼は LSDj の標準的な拍子記号の代わりに、別のリズムを用いて

34

たとえば、とても速いテンポでは、LSDj のソング・アレンジメント機能は代わりにインストゥルメン ト・エディタとして用いられるだろう。

54

ずっと作業し続けている35。それは個人的なルーチンを打ち壊し、Jeremiah Johnson が言う ように「自分が使用していたルーチンの方法を建て直す」手段だった。彼は、個人的なル ーチンを乗り越えようとする自分の意志について、さらに詳しく述べている。

「何年間も同じソフトウェア/インストゥルメントを使った後、あなたは特定のルーチン を開発し、ただ別のやり方をするだけで、それからは何度も繰り返し同じくだらないこと (shit)をやるのが簡単になる。一方で、これこそアーティストが自分たちの「サウンド」 を開発するやり方だと私は思うが、他方、そうやってくだらないことは退屈になっていく。 だから私は自分が長い時間をかけて開発してきたルーチンを積極的に壊そうとし続けてい る」(Jeremiah Johnson)

アクシデント

彼にとって、それは「 偶 然 の促進とソフトウェアの誤用と戯れること」を含んでいる。 それはまた、Eat Shit 等の彼の映像アート作品36においても顕著である。ソフトウェアの誤 用の観念は、ソフトウェアを使用する正しい方法があることを仮定する。これは個人的な 理解であることもある一方、それに関するもっと集団的な理解もまた存在している。チッ プミュージシャンは他のミュージシャンのトリックに影響され、マニュアルとチュートリ アルを読む故に、意図された利用法という上位観念が構築される。チップミュージックは 不確かなプラットフォームを効率的に制御するよう考案されたが故に、チップミュージッ ク・ソフトウェアの意図された利用法は、制御を軸に展開されてきた。Jeremiah Johnson が「ソフトウェアの誤用」について語る時、それはそのシステムに対する反抗と「カオス を物事に注入し、そして一部の制御を諦めろ」(Jeremiah Johnson)という企てを含んでい る。(p. 20 で述べられている NES のように)Gameboy の各チャンネルは特定の特徴を持 っているので、Johnson はたとえばドラム・パターンをメロディのチャンネルに動かした。 その結果メロディを対象とした音でドラムが演奏されるので、かなり予測不能な何かを実 現することがある。別の仕方で置くべし(put differently)。トラッカーを用いて自分自身 を驚かせるのは難しい。そのためこうした類の手法が、知覚され、予期された利用法から 抜け出す方法になる。

35

パターン・エディタが 16 ステップを使用するため、4/4 拍子以外の拍子記号で作業するのは難しいことが ある。パターンの中断を作ることはできるが、その場合見た目のややこしさを引き起こすことになる。 36 http://www.imal.org/playlist/artworks/18

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Linus Åkesson は彼の用いるかなりのトリックが、メディウムが実際になし得るよ りも多くのことを実現できるイリュージョンを作り出すことについて論じている。たとえ ば、利用可能なインストゥルメントの量が限られている時、数個のインストゥルメントの ように見えるように、様々なエフェクトを用いて一つのインストゥルメントを使用するこ とがある37。Alex Mauer もまた、C64 が実際より多くのチャンネルを持っているイリュー ジョンを作り出すために、どんなふうに使われることがあるかに言及している38。 またその機能を変更するためにソフトウェアのハックを行うチップミュージシャン もいる。Ed はその形式/ファンクションを操作するために、DMC というソフトウェアの コードを変更した。こうして、彼は C64 のサウンドチップのより高度な制御を実現する ことができた。SID チップの内在的なアーティファクトを乗り越え、クリアでグリッチの 少ない音を作り出すことを彼は求めていた。しかし、Ed の作り出す音楽はしばしばかな り実験的で「ノイジー」である――ポップ・ミュージックやヴィデオ・ゲーム・ミュージ ックとは程遠い。「もしそれが制御できるなら、ふさわしい場合には自分は攪乱を作り出 すこともできる」(Ed)と彼は考えた。非‐制御のより良い形態を作り出すことができる、 より高度な制御を成し遂げることを彼は求めていた。Nullsleep のインターフェイスの利用 法と比べると、Ed のアプローチは手動の非‐制御、すなわち確定された不確定性の形態 にさらにずっと力が注がれている。 だが一人のミュージシャンとして、テクノロジーに過剰に深く入り込みたくはない とも Ed は述べる。なぜかといえば、「今まで通り音楽制作が可能でなければならず、テ クノロジーだけを開拓する必要はない」(Ed)。同様にかなり実験的なチップミュージッ クを制作している little-scale は、インターフェイスの制作だけでなく音楽制作の相互作用 を論じている。Ed と同じく、彼の音楽は全く実験的なことがあるため、音楽で予期せぬ ことを実行することに突き動かされているかどうかという質問がなされた。

「僕は普通のことから脱して何かを作ろうとしているわけではなく、ただ単にその可能性 に触発されているだけのことなんだ。「You Can't Change The World」は、Atari POKEY イ

37

高いレジスタまたは低いレジスタで(すなわち、ベースやメロディ)、短いノートまたは長いノートで、 ヴィブラートの量またはパルス幅の変更を用いて、それを再生するこで、一つのインストゥルメントがいく つかあるように鳴らすことができる。 38 「C64 は可変的な波形を有しているという事実がある……だからたった 3 チャンネルの範囲内ではあるけ れど、ノイズ用に四番目のチャンネルを使用しているかのようなイリュージョンを作り出す波形を、アルペ ジオで演奏することができる」。(Alex Mauer)

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ンターフェイスを制作したのと同じ日に作曲された。これは良い例だ。マッピング、作曲、 それから作曲で使用するめにマッピングの改良を同時に試みていた」(little-scale)

とはいえ、その他の情報提供者の多くは、「何か違ったことを」するという挑戦によって 突き動かされている。特にデモシーナーは、多数とは違った何かを作ることによって動機 付けられている。Zabutom が言うように、「言うまでもなく、僕は他のどんなものにも聞 こえない音楽を作ろうと努めている。C64〔デモ〕シーンの音楽は、時としてかなり決ま りだらけだ」。メディアというよりむしろ文化のレヴェルでユニークな何かを作り出すこ とに重点を置いている、自分自身のインターフェイスとプラットフォームを制作するミュ ージシャンが特にそうである。Marc Nostromo の発言の引用が一つの明快な例である。彼 は自分自身のチップミュージック・インターフェイスをプログラムするが、技術的システ ムを超越するという観念を完全に斥ける。

テイスト

「自分が面白いと感じる音楽をやるために僕は音楽をやる。趣味によって、僕は明確な特 徴を持っている物事の方へ進もうとする。だが自分の視点からすれば、サイバーハッカー 関連の話題は全てたわごとだ。メディアの注目を集めるのに都合が良い手段だから、連中 はそれを利用している。gameboy で音楽をするのをひけらかしている連中の 99%は、「こ いつはクールだ」と思ってはいるが、「限界を押し広げて革命を起こそう」なんて考えち ゃいない」(Marc Nostromo)

技術的・美学的なシステムの超越という観念が、インタヴューのなかではかなり突出して いる。個人的な自己実現の方へと傾くことは、没頭を扱った前節とは対極にある。没頭で は、個人はシステムの一部である。さらに後ほど取り上げられることになるのは、このよ うなまさにイデオロギー的な問題である。

チップミュージックの言説 今までのところ、情報提供者はインターフェイスを論じる傾向が存在し、そして機械の核 心に向かい、またそれを超越しようとする欲望があることが示されてきた。事前に存在し た期待と照らし合わせると、インタヴューには二つの意外な側面が存在した。一つは、一 般の技術内容に関する話の量の少なさ、もう一つは、プラットフォームをその極限にまで 57

高めることに関する話の欠如である。この節では、インタヴューから構成された四つの言 説の説明を行う。アンチ・ノスタルジアは、チップミュージックをノスタルジアの一例と してとらえる一般的な理解に対する反応として見られるものである。その他の言説も同様 に動機に関連しているが、もっと手法に傾いている。[その次に]遍在する制御について さらに詳しく説明され、この点はイデオロギー的な側面がもっと明確化されているハッカ ーの美学へとつながる。最後に、デジタル経済という名の言説は、チップミュージックを、 制約の観点から自分たちの作業を説明するその他の実践に結び付ける試みである。

アンチ・ノスタルジア 今までのところ、結果では一度もノスタルジアの話題を取り扱っていない。情報提供者の 多くは、幼少期の記憶が何らかの方法で自分たちの音楽に影響を及ぼしていると述べてい る。Alex Mauer にとって、それは一番の動機ですらある。

「主として、子供の頃からいつもこの特別な音を使って音楽を作りたかったという事実が、 サウンドチップを用いて作業する気を起こさせている。若い頃から絶えずしたいと思って いた何かがやれることは、自分にとって決して古びることがない。(…)自分の音楽では、 若かった頃に由来するものを、一貫して言及している……曲名から……ムード……好きだ った特定のゲームの雰囲気を手に入れることに至るまで……。(…)一番戻ってみたい年 は 1985 年から 1995 年の間だね」(Alex Mauer)

しかしその他の情報提供者にとって、ノスタルジアの観念はもっと注意深く扱われている か、否定すらされている。自分のチップミュージックは、自分の他の音楽よりももっと遊 び心に満ちていて、シリアスではないと Matt Simmonds は述べる。「それ自体がノスタル ジックだとも、レトロな感覚だとも思わない。むしろ逃避主義に近い。(…)ある意味で 僕たちはみな若いままでいたいし、チップミュージックはそれをやる自分の手段なのだと 思う」。一般に、それはチップミュージックをノスタルジックにする文脈だと彼は確信し ている。それが Gameboy のゲームで用いられた場合、ノスタルジックな環境に置かれ、 そのようなものとして解釈される。だが「リアルな」音楽はさておいて、その場合は、そ の特定の音色が原因で不調和になる可能性が高く、それ自体はノスタルジックではない。

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チップミュージックが技術的必然から美学的嗜好へとどのように進んだか、Linus Åkesson は説明している。彼はそれを、現代の録音及び演奏テクノロジーをよそに 17 世紀 におけるヴァイオリンのソロ作品の生物学上の制約が、今日もなお用いられている美学を どのように形作ったかということと比較する。「美学と伝統は、もはや不可避ではない制 約を成文化する。これはノスタルジアとは根本的に異なっている。なぜならチップミュー ジックは生けるジャンルだからだ」(Linus Åkesson)。

「僕は 80 年代と 90 年代のヴィデオ・ゲームを遊んで育った。でも、僕にとってこ のことは、なぜ自分がサウンドチップその他を使って音楽を作るかということについての 説明には全くならない」と little-scale は言う。彼にとってそれは、制約と非‐音楽的なテ クノロジーの使用に関わっている。だがまた彼はこうも述べている。「もしかすると使用 するのが大好きなコンソールは SEGA Master System かもしれない――口に出すのもいく らか恥ずかしいが、このシステムは僕にとって、音楽的な価値だけでなくノスタルジック な価値を持っている」。 チップミュージシャンはノスタルジアの観点から自分たちの音楽を説明することを 避ける傾向がある。これにはいくつかもっともらしい理由がある。最もあからさまな理由 は、その言葉が創造的な利用というよりむしろ、うぶな人(naive)と反動的な理想化に 対する否定的な含みを含んでいるように見えるということである。それはノスタルジアの 行為としてのチップミュージックという一般的な理解に対する反応でもあるのではないだ ろうか。チップミュージシャンとしての私自身の経験から分かるのは、ノスタルジアと昔 のヴィデオ・ゲームは、あなたがインタヴューのなかに度々関連付けざるを得ない何かで あるということである。 Ed はもっとはっきりと憑在論の観点から彼の過去との関係性を説明している。 「子供の頃の記憶に対するノスタルジックなアプローチをしようとは思わずに、僕は決し てそれから本気で離れることはなかった。むしろ自分の好きな音楽のなかの新しい意味を 発見した。現在の時代精神が僕の過去に対する見方に影響している。また僕は、絶えず何 か他のものを探し求めてはいない」(Ed)。それは文化的没頭と侵犯の一つの形態である。 そこでは「何か他のもの」――新しい視点、音、インターフェイスあるいは文脈――を見 つけ出すために、新しいものは、そこに既に存在しているのものから引き出される。前進 しているという点で、これはノスタルジアとは根本的に異なっている。新しい何かを引き 59

出すためにそのシステムに移行するというあり方は、同時代の政治的アクティヴィズムと 比較されることがある。無駄なものをその装置に放り込む代わりに、それは侵入し、内部 からその機能と意味を変える(抽象的ハックティヴィズムと比較せよ(Palmås and Busch 2006))。 チップミュージックは作り出されるや、それは以前から存在する観念とメディアの 利用法に憑かれている。アルペジオならびにビープ、ヴィデオ・ゲームの補完物、そして プラットフォームに何が可能か、という事に関する多様な概念。チップミュージックに憑 くこの亡霊は、チップミュージックをヴィデオ・ゲーム・ロマンティックに矮小化するリ スクを冒しているが、一方で同じ亡霊は、ミュージシャとその他の人たちが、技術の再横 領に関してもっと政治的な観点からチップミュージックについて話すことも可能にする。 チップミュージック・メディアは音楽を演奏することを目的としていないという広く普及 した観念が存在するので、別の文脈にいるだけで、たとえ彼らが 1980 年代のチップミュ ージシャンがやったこととほとんど同じことをしているとしても、現代のチップミュージ シャンはもっと容易に政治的かつアーティスティックな正当性を実現することができる。 要するに――チップミュージックが再横領として説明されるとしたら、それが既に三十年 前になされた何かとして現れる場合、より多くの注目を集める運命にある。 この言説がアンチ・ノスタルジアである。なぜかといえば、それは、ノスタルジア とは何であるかを理由にのみ、存在しているからである。この言説を用いて、チップミュ ージシャンは音楽的・芸術的実践としてのチップミュージックを正当化することができる。 ギタリストの古いアンプへの嗜好が存在しないこの時代、チップミュージシャンのメディ アの選択がしばしばノスタルジアと理解されるのは興味深い。これに関する一つの解釈は、 デジタル・メディアは他の電子メディアよりも、もっと速く時代遅れになるということで ある。もう一つの解釈は、創造的ツールとしてのデジタル・メディアに対する理解がほと んど存在しないということである。時間の経過と共に、チップミュージックがノスタルジ アでも再横領でもないと説明され、一つの実践として理解されることもあるだろうか。続 く諸言説は機械の物質性、そして情報提供者がこれらの特質についてどのように語るかに もっと関連している。まずは制御の概念から始めよう。

制御

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「《全体制御》、もしこれについて本当に検討できたなら!!」。トラッカーがその他の ミュージック・インターフェイスより、もっと多くの制御をもたらすかどうか聞くと、 Patric Catani はこのように答えた。チップミュージック・インターフェイスが、可能な限 り効率的にプラットフォームを制御する必要によって条件付けられていることを考慮すれ ば、これは驚くにあたらない。メディアを用いて新しいものを作ろうとする彼らの試みで は、制御こそが決定的要素である。制御が彼のサウンドチップへの心酔と何か関係がある のかどうか問われると、little-scale は次のように答えた。

「サウンドチップを制御するのは好きだ、いや、そうは思わない。僕のもともとの関心は、 創造的目的のために何かを再文脈化することにある――この場合だと、時代遅れのヴィデ オ・ゲーム・テクノロジーだね。でもその文脈の一部こそが創造的利用なんだ。効率的に それを用いることができるためには、人に完全制御がなくてはならない。だからもしかす ると、結局のところ答えはイエスかもしれない……」(little-scale)

この引用は、制御がミュージシャンたちの意識していない概念の根底をなすことががある 点を示している。高度の制御は、チップミュージック・インターフェイス、特にトラッカ ーの自然化された要素になってきている。little-scale が p. 37 で言及している通り、予測不 能な、あるいは範囲外の何かを作り出す、ハードウェアの本来的欠点を開拓するために、 トラッカーを避けることは役立つことがある。「あらゆるレヴェルでかなり本質的に秩序 付化されたシステムで、とりわけ LSDJ には、こうした制御の階層的なレヴェルが存在す る。従って本当に「壊す」のが難しいシステムだ」と Jeremiah Johnson はトラッカーを説 明する。とはいえ、彼は「試しにやってみようとすらしないと、混乱を招くこともある」 (Jeremiah Johnson)その他のソフトウェア39を使用する代わりに、この挑戦を楽しんでい る。トラッカーがもたらす細部まで行き届いた手動制御は、ランダムであるように見える 何かを作り出すのは、挑戦的であるということを意味している。Ed が p. 56 で触れたよう に、より多くの制御は、耳障りな音を立てるより多くの可能性につながり、そして多分そ れは、予測不能な何かを作ることをもっと困難にする。 little-scale や Gijs Gieskes 等、その他のチップミュージシャンは、ほとんどのトラッ カー・ミュージックとは全く違ったように聞こえる音やノイズを作り出す、自分自身のイ

39

彼は MCK/MML の名前を挙げている。

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ンターフェイスをビルドしている。彼らは両方、アルゴリズムが響きと音楽を生み出した り操作したりするジェネレーティヴ・ミュージックと、チップ・サウンドがたとえば身体 上の動作で制御される可能性がある代替的なフィジカル・インターフェイスに取り組み続 けている。結果として生じる音楽は、トラッカーを使って手動で作り出すことも可能では あろうが、トラッカーで制作された音楽のようには聞こえることはめったにない。グリッ ジェネレーティヴ

チな、そして 生 成 的 な音楽をデモまたはヴィデオ・ゲームで耳にする機会は少ないが、 過去数年間、チップシーンでますます広まってきている。 目の前のプラットフォームを考慮しながら、「あらゆること」を可能にするという ――コンピュータ・ミュージックに関する Mathews の普遍主義的な観念に則って、チップ ミュージック・インターフェイスは動作しているように思われる。この意味では、メディ アを制御の範囲外に置きたがっているチップミュージシャンは、インターフェイス及びレ セプション/オペレーションのレヴェルと同じ程度に、プラットフォーム・レヴェルを転 覆していない。チップミュージシャンが今までで一番支離滅裂なノイズを何とかして作り 出そうとする場合、プラットフォーム・レヴェルにいかなる重点も置くということはない。 おそらく、そのインターフェイスによって命じられていることを、ただ実行するだけであ る。その上、チップミュージックの文化的状況は、伝統的に技術的能力を重んじてきた。 それはかなりの程度の制御を前提としているように思われる。優秀なミュージシャンは理 論を実践と組み合わせるための方法を知っている。Zabutom と little-scale の両者は、十分 に通じているかあまり分からないサウンドチップがいくつか存在することについて、簡単 に触れている。言い換えると、理論はさらなる制御感覚を与え、そして制御はクラフトに とって重要な能力を可能にし、さらにそれを制御範囲外に置く。コード及びインターフェ イスのレヴェルから、オペレーション及び美学へと、チップミュージックは制御によって 浸透されている。この点こそが次の言説、ハッカーの美学の話題である。

ハッカーの美学 自作について語るチップミュージシャンのやり口は、Daniel Botz がデモシーンの説明に用 いている用語である、ハッカーの美学と似ている。この観念は、所定のタスクに最も適し たメディウムを見つけ出すことではなく、特定のメディウムの最善のタスクを見つけ出す ことである。多くの場合、情報提供者は特定の目的あるいは観念に従ってメディアを選択 62

しないことが先に示された。ハッカーの美学は、非正統的な手法を試すためメディアを掘 り下げるプロセスを含んでいる。不可能だと思われていたこと、あるいは少なくとも大変 難しいと思われていたことを実現するため、メディアはハックされる。デジタル・メディ アの文脈ではこうした概念が、60 年代及び 70 年代のハッカー・カルチャーの早期に展開 した。それは Barbrook と Cameron がカリフォルニアン・イデオロギーと名付けたことの ある、資本主義的な貿易に対するイデオロギーの寄せ集めやユートピア的なカウンター・ カルチャーのことである(1995)。それは個々のコンピュータ・ユーザーが(より良い世 界という夢のなかで)メディアから距離を取り、メディアのための新たな利用法を発明す ることができるという観念を進展させた。 インタヴューは、チップミュージシャンの間に存在するこうした個人主義的な思考 方法を呈示してきた。物質的であろうと美学的であろうと、システムを超越しようという 欲望は存在する。これはチップミュージシャンが住まう西洋の個人主義的な文化に共通の 特徴だと考えられるし、それ自体驚くことではない。しかし、また情報提供者たちは、可 能性というよりむしろ制約の観点からメディアの特徴を論じている。つまり、彼らは自分 自身を新しい物事を発明可能な、テクノロジーに関する自律的な熟練者だととらえてはい ない。情報提供者たちの誰も、プラットフォームを超越することができると主張していな いのだ。その限られた性能でチップミュージックをシミュレートするために、Linus Åkesson は ATmega プラットフォームに取り組み続けている。彼は次のように言う。

「自分は「ハードウェア・チップチューン・プロジェクト」で新天地を切り開いたと思う。 (…)でも振り返ってみると、進歩していないように見える。その後 ATmega プラットフ ォームの限界を押し広げたからだ。そういうわけでそれは、ほぼ技術的進歩に関連してい て、音楽的進歩には関連していない」(Linus Åkesson)

メディアのなかの限界を乗り越えることに関するチップミュージックの長い歴史は、おそ らくチップミュージシャンの間で、メディアの機能のなかの想定された固定性に関する、 謙虚な態度の原因となってきた。この点に関する一つの例は、2009 年に little-scale が Atari 2600 を用いて何とか平均律を演奏したやり方である。それはそのコンソールの 32 年 の存在において、以前に一度も為されたことがなかった。それでも彼はこれを、システム を超越することだとは見なしてはいない。もっと徹底した複雑な解決策を見つけ出す代わ 63

りに、巧みなトリックを使用したからである40。「僕はチーターだ」と単に彼は言うだけ だ。既に触れたように、「技術的制約は絶対的である(?)」(little-scale)故に、チッ プミュージシャンは知覚された制約を押し広げるのだと彼は考えている。 これは Foucault がどのように侵犯という用語を考察しているかに関係している。 Foucault によれば、「既存の枠組みにとらわれずに」行為することのために労力を費やす ことは、社会全体における重要な理想である。「おそらくいつの日か〔侵犯は〕われわれ の文化に対して決定的なものと見えるだろう……弁証法的思考にとって矛盾の経験がかつ てそうであったように」(Foucault & Bouchard, 1977:33)。新奇性に関するチップミュー ジシャンたちの主張が、美学、メディア、あるいは文化に言及している場合に関係なく、 侵犯的なプロダクションを、限界を超越し、自由の真空状態を生み出す何かだと私たちは 理解すべきではない。Foucault にとって、境界が越えられる時、それはシステムの限界を 照らし出し、そして限界を画定する(Jenks, 2003:7, Simons, 1995:67)。従ってチップミュ ージック・メディアを用いて新しい音が生み出される時、それは物質性のなかの知覚され た欠点を補い、メディウムの実際のポテンシャルを高める。だがシステムの定義を精緻化 することによって、他のチップミュージシャンにとってそのシステムを侵犯するのはまた さらに難しくなる。侵犯は未来の実験のためのヘッドルーム[余裕]を減少させるという 副産物を持っている。それはメディウムの同時的な膨張と収縮である。この意味で、チッ プミュージックにおけるメディア侵犯の長い歴史は、逆説的にも、メディアのなかのより 多くの制約を導いてきたのである。侵犯への努力は飽和したチップミュージックを所有し 続けており、物質性を侵犯することを困難にさせ続けている。 インタヴューはこの状況から前進するための、少なくとも三つの手段を示唆してい る。個人的プロセスを変えること、新しいインターフェイスを生み出すこと、あるいはさ らにツールを使うこと。先に示したように、Jeremiah Johnson は音楽制作の個人的プロセ スを変えるために、個人的視点からツールを誤用することに重点を置いている。littlescale 等、その他のミュージシャンは、トラッカーの言説と手動制御から離れるために、 自分自身のインターフェイスを組み立てる。Ed が述べるように――

40

彼はサウンドチップの DAC モードを利用した。これは本来なら、特定のトーンの矩形波音を生成するた め、すなわちサンプルの再生に用いられるものである。この意味で、彼は矩形波チャンネルの音階を精緻化 するというイリュージョンを作り出した。もっとハードコアな解決策は、もしかすると「Datapop!」という 名の、tlr の平均律の Vic-20 ミュージックに見出されるかもしれない。

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「美学的な形態が 19 世紀の計算機にむしろ似ている――たくさんの数だけを扱う解析機械 あるいはパンチ・カード・データ・マシンのような――ミュージック・プログラムに出会 うのは、ばかばかしいのと同じ位魅惑的な、たった一つだけの点だ。音の情報と構成を表 現するにはいくつもの手段がある」(Ed)

音を変更するために回転することがあるキューブを用いた音楽の映像化のような、別の新 たな表現について彼は論じている。このような表現は、音を変更するためにキューブを回 転させることによって、ヴィデオ・ゲーム風の音楽を用いた再生手段を促すことができた と、彼は主張する。たとえこのようなインターフェイスがプラットフォームの全てのポテ ンシャルを顕在化させることができないとしても、それは別種の実験を促すことによって、 新しい種類の音楽を作り出すことができるだろう。「ありとあらゆることに対する設定が 存在する場合と比較すると、ミュージック・エディタが制限されているなら、おそらくそ の方がより良いのかもしれない」(Ed)。こうした考えが、十年前に彼自身のインターフ ェイスをプログラムした際の彼のアプローチと正反対であることに留意すべきである(p. 44)。 三番目のアプローチは、新しい音と音楽を目指して努力するため、その他のツール を使ってオリジナル・メディアを補完することである。たとえば little-scale は、彼の最新 の Apple 製ラップトップからプラットフォームを制御することをできるようにするハード ウェアを組み立てる。これによって彼はピアノロール・シーケンサーと生成的な構成を用 いて作業できるようになるが、依然としてオリジナル・プラットフォームを用いた作業感 覚を維持している。Gieskes はたとえば、メディウムの特定の場所の電流を変更すること で音を操作するため、しばしばメディウムそれ自体に、つまみのはんだ付けを行う。オリ ジナル・メディウムを補完する最も一般的な手段は、エミュレータを使用することである。 オールド・メディアを模倣し、オリジナル・メディウムが持っていない別機能を追加する、 現代のコンピュータ用のソフトウェアが存在する41。それは多くの点で作曲プロセスをも っと便利にする。デモシーンにおいても同様に、多くのコンポーザーとプログラマが、オ リジナル・メディウムを侵犯するために、エミュレータの機能に依存している。侵犯しよ うというプレッシャーは、利便性と相まって、侵犯的なプロダクションがエミュレータの 利用を含まないよりも、含む方がより一般的になっているという状況をもたらし続けてい 41

エミュレータはより多くの RAM、CPU、ストレージを、プロダクション・プロセスの間シミュレートで きる。さらにまた、もっと便利にプログラミングや作曲を行うための多数のツールを提供する。

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る。その時、オリジナル・メディウムはもはやプロダクションのための第一手段ではなく、 ミュージシャンが適応しなければならない基本的な枠組を含んでいるに過ぎない。生じて いる問題は、なぜミュージシャンが他のテクノロジーの代わりにオリジナル・マシンを使 うことを強く主張しているのか、ということである。

「分からない。これ以上 C64 でそれをやることを動機付けるものがないんだ。もしかした らそれはますます明らかになっていることかもしれない。ひょっとするとそれは、文化的 遺産を守ること、あなたの人格の一部であり続けている何か、それなくしてはあなたが中 途半端になってしまう、長きにわたる日常生活を失わないようにすることに関わっている のかもしれない」(Ed)

ある意味では、プラットフォームを最大化するというハッカーの美学的観念は、デジタ ル・ミュージックに対する Mathews の普遍主義的な観念と大差がない。問題は、Mathews の夢が継続的に新しいテクノロジーを焼べている一方、チップミュージシャンは長い間同 じメディアを使用し続けているということである。チップミュージシャンは侵犯の道程の 果てに達したことがあるだろうか?

メディアは再定義され再目的化されることがあるけ

れども、有限かつ無限にまで拡大されることのない物理的な基礎が未だに存在している。 到達される可能性のある非常にリアルな限界がどこかに存在していて、侵犯の三十年後、 それらの限界はおそらく十分な定義にかなり近付いているのだろう。もしかしたらこの点 はまた、情報提供者がかなりの程度までプラットフォームのレヴェルを論じていない理由 なのかもしれない。 侵犯に代わるものは没頭である。これはまたハッカーの美学の一側面でもある。確 かに、オリジナル・プラットフォームを使用する情報提供者は、それを超越することにあ まり関心がないが、それは彼らが必ずメディアへ没頭していることを意味してはいない。 内在的特徴=機能だと考えられているものが、部分的に(社会的)構造物だということは 示されてきた。最も極端な場合だと、機械の美学に関する観念は、単に過去における支配 的な利用法の帰結である。没頭の観点から音楽制作について説明する情報提供者は、彼ら 自身のそのことに関する考えによれば、メディアへ没頭しているのだという。Catani にと って没頭はドラム・マシンないしはテープ・マシンを使用することと似ていて、

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Simmonds にとってそれはコンピュータという金属に従事する存在に関わっている。だが そのようなことが没頭を実現するのだろうか? それぞれ没頭的で侵犯的とされている手法と動機のどちらが、メディアとは何かそ して何を目指すべきかという仮定、すなわち存在=政治論に依存しているのだろうか。チ ップミュージック・メディアが「受動的な」エンターテインメント商品と定義される場合、 その時、チップミュージックはそれ自体で侵犯的である。これに対して、楽器と定義され る場合、ほとんどのチップミュージックは没頭的と見なされるはずである。かような存在 論的疑問がインタヴューのなかで明示的に言い表されているわけではない。情報提供者の なかでのインターフェイスへの全体的な重要視を考えると、やはり、メディア存在論的な 疑問は彼らにとっておそらく非常に興味深いものであり続けているのだろう。 だが情報提供者全員にとって興味深くまた重要であるように思われた何かとは、制 約という概念だった。これはもしかするとインタヴューのなかで最も浸透している言説か もしれず、そして本稿のほぼ全ての側面に現れているかもしれない。次節ではさらにこの 言説を説明する。

デジタル経済 1990 年頃この用語が一般に知られるようになって以来、限られたリソース量で作業する ことに対する嗜好は、チップミュージックを特徴付けてきたものである。テクノロジー、 あるいはテクノロジーを以て創造的であるべきとする解放主義的状況に関係なく、ポテン シャルを最大化することは一つの挑戦になり得る。決してチップミュージシャンのみがこ うした情熱を抱いていたわけではない。多種多様の芸術的実践にとって、同じような経済 的動機が重要である。ある意味では、あなたが持っているツールとメディアをできる限り 多く用いて実行することが、ほとんどの芸術的実践にとって重要なのである。だがチップ ミュージシャンにとっては、これらの制約が彼らの動機と手法における決定的要素として 強調される。この意味で、それはミニマリズムの音楽やアート、あるいはブルータリズム の建築、ピクセル・グラフィック、種々様々な詩、コミック・ストリップの実践者と同類 レ ゾ リ ュ ー シ ョ ン

である。それはパレット、ノートの量、言葉とイメージの量、解像度=分解能、物質その 他を制限するという選択を含んでいる。それが何を得意としているかに注目するために、

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表現するためのツール、美学、メディウム、または手法の制約を確認するという考えが存 在している。 表現要素の量を制限することで、アーティストは自分自身を「貧しく」する。こう した考えが、アルテ・ポーヴェラとして知られている 1960 年代のイタリアの芸術運動で 用いられた。それは当時のコンセプチュアル・アートやポップ・アートのような、大衆的 な非物質化されたアートの形態に対する反動と見なされている。あるスイスのキュレータ ーが言うには、「アルテ・ポーヴェラはある種のアートを指定する。その周りにあるテク ステイトメント

ノロジー化された世界とは対照的に、一番単純な手段を用いて、詩的な 意 見 を実現す る」(Christov-Bakargiev 1998:226)。それらは唯物論と経験論を経由して、 ナチュラル・ビューティ

「 自 然 の 美 」、「確定された不確定性」の観念へと遡る(ibid.)。同様に、デジタ ル・ミュージックが通常ミュージシャンとリスナーから曖昧化されている物質性と共に作 動しているとすると、チップミュージックは物質性に対する刷新された検討だと説明され ることがある。チップミュージシャンにとって、自然の美は、彼らが一緒に育ったデジタ ルな物質性のなかに見出される。それは今やデジタル・ミュージックにおける「一番単純 な手段」の一つになってきている。さらに、両者の運動は物質と手法の観点から定義され ることがあるけれども、際立ったスタイルを避けてきた。チップミュージックがその特徴 的な音色を越えて研究されるなら、それは瞑想音楽と猛り狂ったパンク・ノイズの両方を 含む非常に多様な領域である。共通する美学的特徴を特定するのは、ほとんど不可能であ る(本稿はそれを行う試みだったわけだが)。アルテ・ポーヴェラとチップミュージック の両者はそれ自体として、それらが作動する文脈のなかに位置付けることが難しいと見な されている。二つの運動の根本的な違いは、チップミュージックが個人的制御の観念によ って浸透され続けているのに対して、アルテ・ポーヴェラはそのような観念から離れたと いうことである。 ホモ・エコノミクス

理性的存在としての個人という観念は、「 経 済 人 」といくつかの類似点を有し ている。彼が政治経済学のなかに姿を現すからである。チップミュージシャンは合理的な 制御に関する技術を用いて、限られたリソースの集合を最大化するためのシステムの管理 を引き受けることを望んでいる。そういうわけで、デジタル経済という用語は、チップミ ュージックをめぐる一般的な動機、手法、イデオロギーを説明するのに適切な概念である。 経済人もまた、デジタル・メディアの範囲内で確認されることがある。インターフェイス 68

がプラットフォームを最大化するのに最も合理的な方法を用いて動作するようプログラム されているという点も、同様に経済人の形態である。プラットフォーム・レヴェルは経済 学の観点から説明されることもある。それは広範囲の商業市場にとってまだ十分に効率的 である間は、可能な限り安価であるように設計されていた。 アッサンブラージュ

チップミュージックという存在=政治論的な 集 ま り ――プラットフォームとイ ンターフェイス、ミュージシャンたちならびに彼らの手法と動機、美学とイデオロギーを マ









伴った文化によって構成された――は大きな経済的人間‐機械として見なされることがあ る。

69

最終検討 自由資本主義の諸観念を支えているように見える結果には、イデオロギーの二つの傾向が 存在する。まず、チップミュージック・メディアは制限されていると説明する傾向は、新 しいテクノロジーは常により良いものであるという信念を再生産している。第二に、情報 提供者たちの個人的創造力への重視は、人間と機械を明確に識別可能な二つの実体である とする、自由主義的な区別を強固にすることがある。 だが、インタヴューを振り返ってみると、あるいは私も質問に同じように答えてい たのではないだろうかと考える。私が読んできたポストヒューマニズムと批判的メディア 理論に関する文献は、主体と客体の二元論を超えて、あるいは二元論の間で何が起こって いるかに関して焦点を合わせてはいるが、このような学術的な仕方で私自身のチップミュ ージックを反省するのは難しい。私とそのメディウムの間で起こっているフィードバック について思考することにたとえ興味をそそられるとしても、自分は責任を負ってその仕事 を片付けているつもりだと、今まで通り私は考えている。 このことは文化に条件付けられている可能性がある。私と情報提供者が制約という 観点からチップミュージック・メディアに関して思考しているという事実が、ハイテク・ カルチャーの一つの帰結である。そこでは新しいテクノロジーは、《進歩》を正当化する のに望ましいものと見なされることが必要である。ただ単に個人とメディウムが存在する に過ぎないのだとしたら、制約について語る理由もほとんどないだろう。1980 年代に一 部の人々が必ずやっていたのと同じように、彼/彼女はチップミュージック・メディアの 可能性について苦もなく語っていたことだろう。ことによるとチップミュージック・メデ ィアにおける没頭のポテンシャルがもっと強調されていただろう。 私たちの時代にとって侵犯が決定的なものであると Foucault が言っているのは、説 得力のある説明だと私は考える。私たちは、自分たちの[他とは異なる]個人的欲望がど こから、なぜ生まれるのかということよりも、それらに関してもっと思考するように条件 付けられている。これはデジタル・メディアに関してとりわけ当てはまるように思う。と いうのも、それらは多くの場合変更することの非常に難しい、ソリッドなシステムだから だ。デジタル・メディアにおける現実の物質性がどのように私たちの生活に影響を及ぼす かに関する知識は、予想以上にほとんどない。多分どんな方法であれ、それに関して何を すべきか、私たちが分からないからだろう。おそらくこのことは、情報提供者がプラット 70

フォームよりもインターフェイスについて詳しく話している理由を明らかにしている。イ ソフト

ンターフェイスは、観察し、研究し、操作するのが易しい、「より柔軟な(softer)」制 約を持っていて、従って創造的プロセスの重要な要素として考慮することは、もっと関連 性がある。それこそが個人的制御の感覚を可能にする。 チップミュージシャンたちの動機に関係なく、彼らの手法ならびにメディアの選 択は、内在的な政治的側面を有している。彼らはデジタル・カルチャーの基礎的構成要素 を扱って作業をしており、「時代遅れの」メディアが今以て極めて有用なメディアである ことを示す。現代のデジタル・メディアにおいても同様に、この点に関する研究は、その 制約とポテンシャルを理解することにとって重要である。それは何をする(しない)もの なのか、また十分な時間が与えられていれば何が可能なのか? だがことによるとさらにずっと重要なことに、チップミュージックはデジタル・テ クノロジーの地球規模の拡散に影響を及ぼすために利用される可能性がある。脱工業化し た存在=存在論によると、チップミュージック・メディアは過去の原初的なツールと見な プレイパワー

されている一方で、その状況はその他の場所では異なっているという。戯れる力こそが、 10US ドルで売っている教育ツールとしての 8-bit コンピュータを発展させ続けている基礎 である。タイピング技能により人が一日当たりの代わりに、一時間当たりに 1 ドル稼げる ようになる地域の開拓をそれは目指していた(Lomas, Douglass, and Rehn 2008)。私自身 を含む、数人のチップミュージシャンが、上手くいけば世界中の人々がデジタル・ミュー ジックを通して自己表現するのに役立つこのプロジェクトに貢献してきた。結局のところ、 地球規模だと大部分の人々は自分のデジタル・ミュージックを制作することがずっとでき ていない。彼らはおそらく 1980 年代のポスト工業化世界、そしていうまでもなくの今も 存在するチップミュージシャンと同じ位、そのことに大喜びするだろう。チップミュージ ック・メディアの地球規模の拡散はまた、音楽に関する西洋の理解に重く条件付けられつ づけている音楽スタイルのための、一服の清涼剤としての役目を果たすこともあり得るの ではないだろうか。 本稿はミュージシャンとデジタル・メディアの基礎の間で何が起こるかを説明する ため、いくつかの概念を展開してきた。ことによると、物質性に関する検討と共に利用法 の研究を補完することが、社会科学者にとってインスピレーションになることもあるかも

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しれず、それはまた、デジタル創造性一般に関する研究において、文化的側面の考察を高 めることもあるかもしれない。

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用語集 アルペジオ いくつかのノートの間で素早い変更を行うことでコードをシミュレートする [手法] アセンブラ 低水準のプログラミング言語、機械語に極めて近い グリッチ 技術システム内の(知覚された)エラー ハイパー・シーケンサー 数が数のテーブルを指示しているトラッカー LSDj Little Sound DJ、2001 年に登場した Gameboy 用トラッカー MCK/MML 音楽制作をするためのテキストベースのプログラミング言語 MIDI シンセサイザー用の通信プロトコル、大部分の現代的なミュージック・ソフトウェ アでも使用されている ネットレーベル オンラインのミュージック・レーベル――チップミュージック配布の一 般的な手段 パターン ミュージシャンがノートとエフェクトの設定を行うトラッカーの要素 ピアノロール 楽譜と同じように動作する一般的なミュージック・シーケンサーのスタイ ル サウンドトラッカー いくらか楽譜と同じように動作するトラッカー トラッカー チップミュージシャンの間で最も一般的なミュージック・ソフトウェアの種 類 移調(トランスポーズ) 一定間隔でいくつかのノートのピッチを変更すること 波形 たとえばサウンドチップに含まれている固有の音色

73

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1954-1963

狂気/精神分析/精神医学』

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Web pages mentioned in the foot notes

脚注で言及されたウェブ・ページ

http://8bitcollective.com/faq http://chipflip.org http://en.wikipedia.org/wiki/Timbaland_plagiarism_controversy http://gieskes.nl/music/?file=gameboy_2003-2005 http://goto80.com http://www.iimusic.net/catalog/2009/07/little-scale-dynasty http://www.imal.org/playlist/artworks/18 http://www.micromusic.net http://www.musikhuset.se/galor/grammisgalan.2003.1.htm

78

訳者付記 これはスウェーデンのチップミュージシャン、デモシーナーとして 1992 年より活動し ている goto80 こと Anders Carlsson が、彼のいうところの「ローレゾ・クラフト」の研究 者として執筆した論文 Power Users and Retro Puppets - A Critical Study of the Methods and Motivations in Chipmusic(Lund: Lund University, 2010)の全訳である。この論文は 2010 年、 ルンド大学にメディアコミュニケーション学科の修士論文として提出されている。なお、 原文は同大学のサイトに掲載されており、誰でも閲覧及びダウンロードが可能である (http://www.lunduniversity.lu.se/lup/publication/1662548)。彼の研究者・批評家としての側 面は CHIPFILIP というブログ(https://chipflip.wordpress.com/)に、音楽家・芸術家として の側面は別のオフィシャル・サイト(http://www.goto80.com/)に集約されれている(もち ろん、この区分は便宜的なものに過ぎない)。ここで詳しく紹介することはしないが、あ なたが調べてみるなら、彼らが関わったかなりの量の作品を「フリーで」入手できるだろ う。 原則として、著者による補足は〔〕内に、訳者による補足は[]内に記した。原文では インタヴューの引用の際、著者によって回答者の脱字・誤字が復元されているが、翻訳で はその点を省き、復元後の言葉に従った。(ただし情報提供者の発言に見られる、 Gameboy と game boy、 LSDj と LSDJ のような表記のゆれは、著者の意向も鑑みてその ままとした。)

チップミュージックという多分に再帰的なメディアを扱う思慮深いチップミュージシャ ンたちの根源に迫るこの論文は、それ自体が徹底的な反省の産物である。かくして翻訳の 過程で私もこれまでの活動の吟味を促され、同時に類まれなフットワークと慎重さを兼ね そなえた著者の思考の軌跡に何度も励まされた。Anders に感謝の意を表します。

河野崇(2014/10/30)

79

Anders Carlsson - Power Users and Retro Puppets.pdf

ップ、ハッカー、デモシーン、ノスタルジア、美学、インターフェイス、侵犯、没頭、憑. 在論. Whoops! There was a problem loading this page. Retrying... Whoops! There was a problem loading this page. Retrying... Anders Carlsson - Power Users and Retro Puppets.pdf. Anders Carlsson - Power Users and Retro Puppets.pdf. Open.

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